1949年のコンタックスSから始まって(異論は有ると思いますが)2003年のベッサフレックスTMまで綺羅星の如く銘カメラ
が揃っているM42マウントカメラ。
世界的に名にし負うメーカーが開発/販売していました。
・ZEISS
・Voigtlander
・Pentacon(KW)
・KMZ
・PENTAX
・Olympus
・YASHICA
…
こちらに集まれる皆さんも1台位はお持ちではないでしょうか。
発売は1952年、ペンタプリズムは付いていないウエストレヴェル(W/L)ファインダー機です。
(ペンタプリズムはオプションで用意され、W/Lファインダーの上に載せます。ブロニカDXのプリズムファインダーの様に。)
シャッターダイアルは一軸回転式で、中心に高/低速の切り替えノブが有ります。選択できる速度は
B, 1/2, 1/5, 1/10, 1/25, 1/50, 1/100, 1/200,1/500。シャッターは厚めのゴム引き布幕横走りシシャッターです。
ボディー前面には年代によるシンクロ接点のバリエーションが有り、
・旧タイプのX,G,Fの3孔タイプ
・X,F の2個付きドイツ式ターミナル
・X接点のみの1個
が有ります。
レリーズボタンは向かって右側にレンズ光軸と平行に押すタイプです。
ミラーアクションは巻き上げと同時に降りるタイプで、クイックリターンでは有りません。
絞りはピン押し込みの機構が無い単純なM42マウントです。そのため、普通絞りかタクマーレンズの様
にM-Aの切り替え機構が必要です。この為、意外と使用可能なレンズが限られてしまいます。
ちゃんと整備された個体なら単純な分、軽快に作動します。
ペンタプリズムとは違った気分で使うには良いカメラです。


S3の後継にあたる位置付けの機種で、巻き戻しクランクの根本に装備されたセルフタイマーから"SV"と命名されています。
有名なSPと比較するとデザイン的に初期の機種のイメージが残されています。
スペック的には、ほぼ完成された過不足の無いスペックを持ちます。
・B,1〜1/1000
・ファインダー視野率93% (倍率は55mmで等倍? 未確認)
・ファインダースクリーン マイクロプリズムとマット
・アクセサリーシューはオプション


エクサは1951年に始まりました。日浦様のラインメタル・エクサの項もご参照ください。東独カメラの常として時代と共に簡略化されていきます。
Iaではペンタプリズムファインダーを装着するのに無理がないデザインになりました。
そしてこの前のモデルIbから伝統のエクサクタマウントからM42に変更されましたが、シャッターレリーズは相変わらず左手です。M42の自動絞りに対応しシャッター1段目でバネで絞り込み、押し切りでシャッター作動します。
一気に押すと普通に軽くシャッターが切れ、ミラーは上がりきりで巻き上げで復帰します。
さらに金属製のIbボディとフォーカシングフッドをプラスチック製にして大幅に軽量化、廉価にしたのがIcです。
フォーカルプレーンではなくミラーがスリットシャッターを兼ねており、最高速は1/175、他125,60,30,Bの5段階のみの潔さ...フラッシュ全速同調かと思ったのですがどうも1/30がシンクロ速度のようで高速側は蹴られてしまいました。
Icは1985年から87年にかけて販売されましたが、その事実に戦慄します。日本では同じ年にAF新時代を告げるα7000が登場しています。
東独はまだトラバントを作っていた頃でしょうか。
しかし恐らく現在の価格は、α7000よりExa Icのほうが何倍も高価でしょうね。皮肉なものです。


ミラーシャッターとはいかがなものかと興味が有りました。
今ではM42レンズよりも2〜3割安いエキサクタマウントで楽しんでいます。
以前は散々な評価なEXAですが、最近のユルフワブームで、周りにも購入されている(Tb)人が増えてきました。
EXAはとても可愛い小さなカメラです。タクマーの28mm前後を付けて高級写ルンですと思えば使い方も容易です。


取り敢えず壊れようがない構造ですね。
初期のセミオートのタクマーが大変細身でよく似合うと思っており、セミオート絞りのスプリングチャージ儀式の後、見えにくい腰高ファインダーと、狙った瞬間にシャッターが落ちないタイムラグを楽しみながら撮影します...
周知の事と思いますが、EXAのようにマウント面にビス穴が開いている機種にSMCタクマーを嵌めてはいけません。
自動絞り切替の時マウント面に突き出すピンが穴に噛んで地獄嵌めに陥ります。
私はうっかり中間リングを介さずにSMC100マクロを取り付けてしまい大汗をかきました。
ピンが突き出てしまうとA/Mレバーが戻らなくなり、地獄嵌め完成です。
最後は力業で外しましたが、マウント面に傷を付けてしまいました...
マウント面にネジを持ってくるのは良くない設計だとは思いますが、SMCタクマーの設計も大概ですね。


メカニカル制御シャッター1-1/1000、シンプルなマウントで、特別な絞り込みボタンを持たず、シャッターボタンが自動絞りの絞り込みを兼ねており、それで絞り込み測光を行います。
そのためシャッターストロークが長く、若干重い押し味で、途中で絞られるためレリーズ直前は視野が暗くなります。
あらゆるM42レンズで測光が出来る所が長所でしょうか。
漫然と大きく重い、日本では受けそうにない欧米人向け金属製カメラですが、外装は凹みやすく今の個体もべこべこです。
海外通販で10ドルくらいだったから、メインの注文のついでに入手したものの、ペンタックスSVやフジカSTシリーズのような引き締まったカメラを持っていると、ちょっと出番がなさそうな。


撮影目的が限定されていたらそんなに頻繁にはレンズ交換しませんし、M42も思ったほど苦にならないのがわかりましたので。
本当に咄嗟の場合はカメラ複数台にしたほうがバヨネットより早いです。勿論ズームには敵いませんが。
さてペンタSVですが、最近露出計を使わないのでSPやSPFは電池を抜いたままで、それなら潔いSVを選択することが多くなりました。
デザインが引き締まっており、操作感も洗練されており、シャッターボタンの切れも良い、流石と思わせる機械です。
旭光学のタクマーレンズの優秀さも持ち出す理由ですね。ベーシックなグレードであっても何を撮影しても信頼できる画像が得られ、特にKマウント直前のモデルは非常に現代的な写りです。
私の愛用タクマーは、SMC55/1.8, マクロ50/4(プリセット等倍),SMCマクロ100/4,SMC28/3.5,SMC35/3.5,SMC85/1.8(頻度少なめ) です。
自動絞りチャージ手動の55/1.8、35/3.5、105/2.8、プリセット135/3.5は主にExa Icに組んでいますが、明瞭に逆光耐性がSMCより弱いですね。それも使いこなしです。


1960年から1964年にかけて製造された、M42自動絞り付きの一眼レフです。
正確にはプラクチカWのRev2タイプで、ボディー全体がクロームになりました。
ペンタプリズムを除いては基本的にプラクチカFXに色々なギミックが搭載されたと思って頂いてかまいません。
大きさの比較のためにペンタックスSVと並べてみました。かなり背が高いので大柄に見えます。


まず、自動絞りの機構ですが、マウント内部画像の赤いスイッチを横にスライドさせると、自動絞り機構を
解除する事が出来ます。
自動絞りはレリーズボタンを押し込む事で、絞りピンを押し込むので、解除されると幾分操作が軽くなります。
次は巻き戻しノブです。一見すると普通のノブなのですが、Rev2よりノブ上部が軸外しで回転できる様になりました。
指を掛けて回す事が可能だそうです。(構造が華奢なので使っていません。)
最後は最も特徴的な部分です。この機種はノブ巻き上げも底部レバーでも巻き上げが出来ます。
このレバーは分割巻き上げが出来れば、それなりに便利なのですが、残念ながらそうはなっていません。
このため。ケースも独特な構造になっています。本体よりもケースを見つけることが難しいかもしれません。


M42マウント完全自動絞り、SPDによるTTL絞り込み測光(ファインダー内部定点合致式)
ファインダー倍率0.96倍、視野率90%
シャッター横走り布幕フォーカルプレーン1/1000〜1,B倍数系列、X(1/60)
重量:ボディ618g
サイズ:133x91x49mm
フジフィルムが初めてつくったフォーカルプレーン一眼レフカメラ。1950年以前からの写真機メーカーとしては最も遅く参入した。(輸出専用レンズシャッター一眼レフ:フジカレックスIIが初めての富士フィルム一眼レフ.なぜかIは存在しない)
マウントは自動絞りピン以外の連動機構を持たないシンプルなM42プラクチカマウントで、ボディ前面右手側の絞り込みボタンで測光する。
当時としても絞り込み測光は遅れた仕様ではあったが、ペンタックスSPやキヤノンFTQLがまだ現役であり大きな問題ではなく、またM42絞り込み測光は世界的に普及しているどのようなM42レンズでも測光できるため、海外販路には保守的な機種が求められ戦略的には正しかったと考えられる。
発売時にフジノン35mmf2.8、55mmf1.8、50mmf1.4、135mmf3.5の4本が揃っており、翌71年には28/3.5から200/4.5まで交換レンズが拡充された。
その後フジカSTシリーズは1972年開放測光専用フジノンとST801の組み合わせでTTL開放測光マニュアルが実現し、絞り優先AEの901やAZ-1に発展したが、上記のように絞り込み測光も需要があり、ボトムラインにシャッター速度を1/700から1/2秒,Bに落とした絞り込み測光機ST605を1976年に供給し、オイルショック後の不況に対応している。この低価格機が高級機を狙わない富士フィルム35mmSLRと交換レンズの路線を決めたように思える。
STシリーズはアサヒペンタックスを上回る小型軽量ボディに特徴があり、横幅が特に小さい。縦は割に大きいが、横幅だけならOM-1(136x83x50,490g)より小さい。
ファインダー倍率は標準55mmで計測すると割に大きいが、視野率が90%と小さい。これはアマチュア向けとして容認すべきかもしれないがOM-1は97%もあるのだ。
巻き上げは滑らか。作動音はやや大きく、ジェントルなOM-1やペンタックスSV, SPと較べると荒々しい印象を受ける。
露出計は作動していない個体が多くなったという。私のは液漏れで電池室が酷いことになっている。勿論ジャンクボックス品なので文句は言えない。機械的にはよどみなく作動し、華奢な他社と較べて品質は高いと思う。
純正標準レンズは、ST701時代はまだEBCではないフジノン50mmf1.4と55mmf1.8で、いずれも評判は高い。
画像の個体は、ボディとレンズを個々に求めたのでEBCが付いている。
55mmは特に普及したレンズで、さらに普及したSMCタクマー55/1.8に勝るとも劣らない描写力。


1964年発売
重量619g
クイックリターンミラー(という記載がある時代)
横走行布幕フォーカルプレーンシャッター、1/500から1/2秒まで倍数系列+B
FP, Xシンクロ
1作動レバー巻き上げ、クランク巻き戻し。
スプリットイメージ+マイクロプリズム、マット式ファインダースクリーン(と広告されているが手元の個体は中央マイクロとマットのみ)
専用ラグにクリップオンするCdS露出計別売。EV3-17、シャッターダイヤルにカップリングされ絞り値を表示する。
日本では標準レンズとしてオートヤシノンDX f2/50mm、5群6枚、完全自動絞りがセットされていた。海外ではヤシノン55mmf2.8がセットになったものがある。また上位機種J-5にはDX50mmf1.4またはDX55mmf1.8が組み合わされた。
同時発売のボディ内蔵外部露出計つきJ-5の普及機という位置づけで、「ポピュラーな完全自動絞りカメラ」「意のままに駆使できるポピュラー・ペンタ」という広告から、ポピュラーがキャッチフレーズだったと思われる。
デザインは、ヤシカSLR初代機Pentamaticを踏襲したシャープなペンタJから変わって、J-3から角を丸めた無難な、個人的には野暮ったいものになり、その後の機種に続く。
またM42にマウント変更した当初、ペンタJはレンズに開放セットレバーがついた半自動絞り機で、完全自動絞り実現はJ-5からになる。
外部露出計が内蔵されたJ-3からシャッターボタン位置が前面から軍艦部に変更されたが、J-Pは着脱式露出計が軍艦部右手側を覆うためか、シャッターボタンが前面に戻っている。J系最終機J-7も外部測光でTTLには別シリーズを待たねばならない。




64年発売のSPから露出計関係装備を除いたマニュアル露出専用機
ボディのみ重量はSPの623gから596g(いずれもカタログ値)に若干軽くなりました。
他の基本はSPと同様。翌年1969年にはペンタックス6x7が発売されています。
SP登場当初はボディ51000円、SLは当初23000円と段違いに安価です。
SPはTTL測光という当時先端技術が売りなので強気ですが、SLは割安です。
1973年、SPがSPFに更新されても、ベーシックなSLは併売されています。SPF(642g)はホットシュー固定ですが、SLは外付けシューのままマイナーチェンジされていません。
SPFは42000円と、SP初期より随分値段が下がっているのは競争が激しかったのでしょう。同時代のSLは27000円と、値上げされています。
1973年にはK2, KX, KMが登場、おそらくしばらく在庫販売されたと思われますが、交代となりました。Kマウントではもはや露出計非搭載のカメラは作られていませんので、ペンタックス最後のメカニカル・フルマニュアルモデルでしょう。
SPシリーズ共通に、ファインダー視野率93%,倍率0.89倍(50mm)等倍(55mm)です。
私はSPでも電池を入れませんので、ファインダー表示がすっきりしているSLは好みです。
外部露出計はペンタプリズム上に被せるタイプで、他社のように固定金具が目立つことはなく、単体のデザインがすっきりして美しいのもよろしいです。


フジカST701のご投稿ありがとうございました。大変懐かしく、残念ながらボディは譲ってしまいましたが、初期型55ミリf1.8のレンズは残してあります。
アダプタ装着の上シグマfpで時々楽しんでいます。
天気が良いので、窓際の愛犬のうたた寝、試し撮りしてみました。
シグマfp fujinon55mm f1.8
ISO400 ss1/60 f11と16の間
イイ色出しますね、改めて感心しました。
カメラボディの板から外れ申し訳ございません。
よろしくお願い申し上げます。
フジカのフォーカルSLR1号機はプリミティブながら気合が入った出来でしたね。
最近のボディ価格は悲惨極まりなく、気軽に購入できるのはありがたいやら悲しいやら。
シグマfpは大変気になる存在です。
私はフルサイズ?ミラーレスを使う目的が機材テストと大判ステッチですのでほぼ三脚固定。小型軽量薄型で、あたかもフィルムバックのように使えるfpは購入候補です。でもソニーでアダプタを揃えてしまったし、α7Rが壊れるまでは乗り換えできないでしょうけども...
ご作品ありがとうございます。この当時の標準レンズの水準が大変高かったことが改めてよくわかります。


1973年発売 製造:旭光学工業
M42マウント完全自動絞り、CdS TTL平均測光(ファインダー内部定点合致式)
電源:1.3V水銀電池H-D1個
ファインダー倍率:55mmで1.0倍、50mmde0.89倍、視野率93%
シャッター:横走り布幕フォーカルプレーン1/1000〜1,B倍数系列、X(1/60)
巻き上げ:レバー1作動、分割巻き上げ可能
重量:ボディ641g
サイズ:143x91x49mm
ベストセラーTTL絞り込み測光一眼レフ、ペンタックスSPの改良型で、他社でも主流になりつつあった開放測光を採用しました。
その他の主な変更点は、アクセサリーシューが固定式のホットシュー(X接点のみ)、露出計スイッチが、左手操作の絞り込みボタン兼用のスイッチから、レンズに光が入ると自動的にメーター作動するフォトスイッチになりました。その代わり撮影終了後はレンズキャップをするか、ケースに入れて暗黒にしないとバッテリーが消耗してしまいます。
右肩正面の機種名は、SPOTMATIC Fになった。SP時代から平均測光なのにスポットの名称だが、試作機が測光時に腕木が出て画面中央を測光する、ライカCLのような機構だったところ、発売モデルはペンタプリズムにCdSを置いて焦点板を平均測光する方式に変更され、名称のみがそのまま使われた経緯のため。
SP譲りの熟成された信頼性が高い機械部分であり、ジャンク箱に打ち捨てられた個体でも、電気回路は故障していてもメカ動作は健在であることが多いようです。
SPは絞り込み測光のため、あらゆるM42マウントのレンズを装着しても測光できましたが、SP-Fの開放測光には、レンズの開放f値情報を伝達するラグを持ったSuper-Multi-Corted TAKUMARの一部と、SMC TAKUMARが必要です。ラグを持たないTakumarや、他社のプラクチカマウントレンズは、SP同様左手側の絞り込みスイッチが残されていますので、絞り込み測光で使用できるように上位互換が保たれています。


当時はペンタックスユーザーではなく、自分用には全く考慮していませんでしたが、嫁ぎ遅れを操作しているうちに沼にどっぷり浸かってしまいました。
アサヒのM42機は操作感や動作音がジェントルで、機構は頑丈。頻繁にレンズ交換しなければ(実際私はバヨネットであってもレンズ交換頻度は少ない)かなり実用的で楽しめます。
また学生時代の友人が、タクマーは甘いと事有るごとに呟いていたのでそんなものかと敬遠していたところ、実際使ってみるとなかなか悪くない感触を得て、今では常用範囲で不足ない程度にレンズを揃えてしまいました。最近はボディは捨て値のまま標準レンズだけがべらぼうに高騰、それに加え、フィルムがボディ価格を大幅に上回る想像を絶する時代になり、もはや初心者に気軽にフィルムカメラを勧めることが困難になりつつあります。せめて所持している者は使ってあげねばと思っています。
SP-F、SMC TAKUMAR 55mmf1.8 ラバー巻き最終型。奥はSP


ご投稿拝読いたしまして、売却してしまった元箱付のST701後悔していまして、ネットで探し始めています。懐古趣味と笑わば笑えです。それほど55mmf1.8は気に入っていまして手放さなくて良かったと思っています。
新型のデジタルミラーレス機のインフォが全く気にならなくなってしまいました。
今が、このあたりの捜索のチャンスかもしれませんね。
よろしくお願い申し上げます。
フジカST-801
1972年発売のプラクチカマウント35mm機械式シャッター一眼レフカメラ
シャッターは布幕横走行式(B・1〜1/2000sec)
ファインダーは倍率0.96倍・視野率92% フィルム感度はASA25〜3200
重量はボディのみ実測620g セルフタイマー有り 露出計用に4LR(4SR)44電池1ケ使用
ねじ込みのプラクチカマウントに独自のロック機構とレンズ絞り感知ピンを備えたカメラになります。これにより開放測光が可能となりましたが、対応する専用レンズが必要です。同時期に発売されたEBCフジノンレンズやフジノンZレンズにはレンズ基部に絞りをカメラに伝達する突起が設けられました。世界初のLEDによる露出計がファインダー内に装備されています。
投稿用ネタを探していて物置から救出しましたが、私の機体は露出計が動作しません。電池室はキレイなんで、修理するか思案中。M42レンズが使える機体としては恐らく最速のシャッター1/2000秒を持つカメラだったのですね。手に入れた当時はあまり知識が無く、好スペックだということも理解していなかったもの。取り敢えず、マニュアルで使ってみよう。
ペトリカメラ1977年発売
M42マウントの一眼レフでペトリカメラ倒産の年に生まれました
シャッターは布幕横走りB・1〜1/1000 露出は針合わせ式 感度設定はASA25〜1600
セルフタイマー有り 重量は実測470g 使用電池はSR(LR)44×2ヶ
1977年発売にしてM42ネジマウントで絞込み測光という、当時としては極めてロースペックな一眼レフです。絞込みはセルフタイマー上のボタンでおこない、少し回転させるとロックする事が出来ます。巻き上げは上部ではなく背面です。今となっては多数のM42マウントレンズをが使える割には新しい製品という立場です。壊れにくそうですし小型軽量なので取り回しは良好です。その分、プラ素材も多いしメーカー名バッジも機種名バッジも平面のプリントです。これを張り替えれば色々なブランド・機種名に変えられるという・・。
当時のペトリカメラは輸出がメインだったようで、この手法で海外向けに販売されたようです。
ペトリカメラは倒産後に労働組合主導でペトリ工業となり、MF-1は貼皮などを変更して1980年からMF-10として販売されたものの、その後早い段階でカメラの製造販売から撤退したようです。ただペトリ工業は現在も光学関係の会社として存続しているようです。
最近、銀塩カメラが少しづつ値上がりしているような感じがしますが
気のせいでしょうか?以前はフィルムカメラ イコール ゴミみたいな感じでしたが。そんな中で一時期脚光を浴びて消えて?行ったブリッジカメラについて語りたいと思います。
記憶にあるのはリコーミライ、チノンジェネシス、オリンパス Lシリーズ、キヤノン オトートボーイJETあたりですが。
是非、ズームカルディア3000も仲間に入れて下さい。


ズームカルディア3000ですか。これは凄いデザインでしたね。
実際、1回しか物は見た事ありません。使っている人も見たこと無いですね。中古やジャンクも見たこと無いし。
どの位売れたんでしょう?


写真機と言うより、ムービー型のハーフ。確か、25〜75の3倍と25〜100の4倍ズームが有った。更に、右利き用と左利き用が有った。
正に、未来形。デジで再生しても不思議でないデザイン。但し、現物はハーフとしては、大型でしたね。


コレは難しい質問ですね。
ブリッジカメラ自体、AF一眼レフ黎明期のあだ花みたいなところがあります。
各社ともに苦しかったのではと思います。それでもLシリーズや京セラ サムライは比較的良かったのではと思います。


京セラのサムライ、これ売れていましたね。
結構高かった記憶があります。私は間違えて左利き用を買った記憶があります。おかげで使いにくかった。
サムライはデジカメ版があったような記憶があるのですが・・・
ハーフはもっぱらキヤノンダイヤルを使っています。


正にブリッジ型。単焦点レンズと透視ファインダーが横に並ぶ。
上級機にDC120があり、此方はズーム、液晶ファインダー付。CCDは多分38万画素?
コダックに出せば、プリクラ並みのプリントができた。TVにつなげば画像確認できたが、ソフトが合わず、PCにうまく取り込めない。
基本マック用。ウインドーズは95対応?画像の容量で、サイズが変わる。
取り込みに時間がかかるのに、ファインダーは、アナログのまま。動くものは撮れない。
発売当時10万程した。私は、97年頃、ソフマップで箱付きミント状態を、1万程で購入。
デジのお勉強と思ったが、こんなもの使い物にならない。
何せ、弁当箱で、ミノックス画像。其の儘お蔵入り。
ルミックスが出て、やっとデジ手に入れた。
探せば、今もどこかにあると思うが、覚えてない。
Nt検索しても、詳細、良く分からない。出てくれば珍品かも?


メディアも高かったし。トータルで考えるとフィルムの方がまだ安かった時代です。








これもブリッジカメラだったんでしょうか?
当時から台数も少なく、ジャンクでも結構高かった記憶があります。


本来現場監督のレンズなので、ズームでも、隅まで歪の無い素晴らしいレンズだと思います。
ワークレコード共々、銀塩カメラの、一種究極の形かも。




救われたのかもしれません。


どんどんフィルムが消えて行くような・・・


私は漠然と、一眼レフとコンパクトカメラを橋渡しする、ズームレンズ固定で主に電動巻き上げオートフォーカスの135mmフィルムを使うカメラと思っていました。
例外的に、110判のミノルタ110ズーム2機種は110,手動巻き上げでもカテゴリに入るかもしれませんが、例えばニコレックスズーム35やフラッシュフジカズームデートは入らないように思いますし、いわゆる「暗黒ズーム」コンパクトカメラも入らないような。
なのでミノックスや16mmカメラはブリッジと言えるかは、私はそうは思っていません。
さてミノックスフィルム生産中止とのこと、どのフィルムでしょう。
ミノックス本社が出していたMinopanとかMinocolorですか?
Kingが出していたフジカラーを入れたヤツ? レモン社さんには詰め替え品が置いてあったと思いましたが...それもですか。
それともミノックスカートリッジそのものが中止?
いちおう今でもかわうそ商店さんには、詰め替え品だと思いますが今でも供給されています。
知人達はフィルムスリッターで35mmから裁断して使用されています。本来はそういう使い方が正当派なのでしょう。


本来は、れんずまにあ様の定義の範囲にしなければ、際限なくなってしまう。
私、ブリッジの意味を、拡大解釈していたようです。本来、110、16mm、ミノックス等、別項にすべきものでした。
ケムンパス様には申し訳ありませんが、3機種削除致します。


私がスレッドもとではないので、スレッド主が想定している正確な定義はわかりかねますが、多分2000年頃に湧いた一群のAFカメラのことを指していると思います。
私は全然触ったことがないので...
110やミニカメラについては別項目でよろしいかと思います。私は経験が浅いのですが、楽しいスレッドになればいいですね。
さて、このスレッドですが、どちらかといえば談話室で行うような内容で、機種別画像掲示板にあげるには異例の状態です。
ほりさげたスペックやレポートがない。
画像(必須ではないものの)や使用経験などがない。
スレッド主が積極的に上記の情報をあげず、他メンバーに情報紹介を要望している。
個人的には望ましくないスレッドかと当初から思っていましたが、意外と皆さん食い付いてコメントが伸びていたので、様子を見ていました。
この形式がいけるのなら、京セラNのスレッドも容認されることになり、ここいらで注意喚起をせねばならないと思いました。
ケムンパス様には恐縮ですが、本来の機種別掲示板の形に修正して頂ければと思っています。
皆様のご意見は如何でしょうか。


<私、こんな機種使ってます。使ってみてこう感じましたが、皆様如何ですか?>
<又、他機種使っている方は如何ですか?使用感教えて下さい。>
此れが、私の立ち位置です。時には系列機種を検索して、記載もします。
<?>付の項目では、私の様に拡大解釈することになると思います。
今後とも宜しく。


いかがでしょう。ケムンパスさんのお持ちの機種をスレッド冒頭に掲載される様に修正されてはと思います。
まずは隗より始めよですね。でないと他所での掲示板と変わらなくなってしまいます。
と云いながら、私はこの手の機種を持っておりません。


冒頭No1322に対して、スレッド下の修正ボタンで入って、画像を加えて詳細紹介文を付けて上げ直して頂ければ、標準的な投稿スタイルに戻るでしょう。
その下に伸びる雑談は、タイトルに関連があれば問題がないと思います。
また、詳細情報も画像もない話題や、特に残しておく価値が少ない話題、初回からの質問は、談話室に上げて頂ければよろしいかと思います。
そして、スレッド毎にハンドルネーム(HN)を変えることなく、HNを一貫して頂ければ、会話の為にもお互いに認識しやすいためお勧めします。固定HNでないといけない規則はありませんが、個人を認識できないと会話になりにくいと考えますので。
この掲示板はサイトオーナーである日浦様の寛大な広場ご提供のもとで、他利的な献身と、少々の自己顕示で成り立っています。皆が役立つ情報が集積できればよいですね。


フィルムカメラはもう5年以上前に全て処分しており手元には
ありません。オリンパスのL1は所有していました。たまたま立ち寄ったここで懐かしさのあまりに書き込んでしまいました。申し訳ありませんでした。


画像がお手元にないのは大変残念でした。
私が探せていないだけかもしれませんが、投稿規定は特に掲載されていませんのでこれは絶対ダメというものでもありませんが、
従来から暗黙の了解のようなものがありまして、
こちらは、機種別画像掲示板とされているので、基本的にはカメラ本体の画像を掲載しつつ、トピック主がその機種の解説をあげて皆に紹介する。
そののち、その機種に関連する話題や、撮影画像を上げて紹介の幅を広げていく。
結果として検索でやってこられた方に有益な情報を集積する。
という大筋で成り立っていることは、従来のスレッドをご覧になればおわかりになるかと思います。
もっと言えば、CameraGraphic本館で日浦様が「クラシックカメラ紹介」でおやりになっていることを、皆で真似して盛り上げていこうという主旨かと思います。
雑談はぜひ談話室の方でもりあがっていこうと思いますので、今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます。


私も、サムライは既に手元にはありません。
銀塩カメラ手放したとの事。まだ、120、135フイルムは手に入る。此方の投稿を参考に、興味ある銀塩カメラを再度手にして下さってば如何ですか。
銀塩カメラを使える最後の時代かも?
でもって使用感を、報告してください。
画像は2の次。私なんぞ、当時の広告、取説を掲載したり、もう手元には無い機種を掲示したり。銀塩カメラの思い出を掲載しています。


勿論画像なしでも、ナースマン様やefunon様のご投稿のように資料性が高く、またご自分で使ってこられた生きた情報が満載されていれば、公益性が高いのは間違いありません。
私が個人的にふと思っているのは、かつては「カメラコレクターズニュース」や商業誌ではカメラレビューなどにご執筆、ご投稿されていた先達達が発表の場を失っているのではないかという危惧です。
多くの方はネット環境に移行されたかもしれませんが、撮り残されたアナログ情報の中に、私などは足元にも及ばない豊富な知識と経験をもつ大コレクター様、あるいは設計生産現場におられた当事者様たちの情報が埋もれてしまうのは大きな損失です。
また大規模でなくても、それが個人的なほんの小さなご経験でも、大コレクター情報と価値は同じだと思います。
画像が無くても、ご自身でウェブサイトを立ち上げる機会がない方の受け皿になればよいなあと、ふと思いました。
私も自前のサイトを持たない身ですので、このような発表の機会をいただけて感謝の言葉もありません。


1990年発売
所謂ブリッジカメラと呼ばれる物です。ネーミングに"スーパー"が付いた本機は電動ズームレンズとなり、フォーカルプレーンシャッターを搭載。デザインも曲線曲面が多くなり、先代より洗練された印象。
TTL測光で赤外線アクティブ・TTLパッシブオートフォーカスのマルチAF。レンズは38〜110mm11群12枚(F4.4〜5.6)シャッターは低速は分かりませんが高速側は1/1000迄有るようです。
AEはプログラム・シーンモード2種。他に人工知能によるプログラムズーム機能が用意されていました。
+/−2段まで0.5段ずつ露出補正可 フィルターネジは58mm セルフタイマー有り 連射機能有り デート機能有り(2019年迄)
電池は2CR5リチウム電池を1ケ使用 重量は720g 定価¥64,800
「被写体を人工知能が瞬時に判断し、マルチプログラムが最適なズームを操作を行う」機能が有るらしいですが、この機能はボタン一つで解除できるので使ったことがありません。フィルム代金と時間に余裕があれば試してみたいものです。
"スーパー"の付かない先代ジェネシスでは手動ズームレバーにマクロ位置があり、50センチ程度まで寄れましたが、本機は80センチ位までしか寄れません。
TTLファインダーはやや暗めなものの、通常のズームコンパクトカメラの小さなそれよりは遥かに見易く信頼出来ます。ボディ右手側が水平にグリップ形状になっていて、安定してホールドできます。操作に対するレスポンスも良いので、大きさえ気にならなければ案外使いやすいです。
1990年発売
3倍ズームレンズを搭載したレンズシャッター式のブリッジカメラ。レンズは電動ズームの35〜105mmF4〜6.7 (3群12枚) 最短撮影距離70cm シャッター速度は1/2〜1/500
TTL測光・TTL位相差検出AF 実像式ズームファインダー。
電池は2CR5リチウム電池1ケとデート機能用にCR2025ボタン電池使用
重量は560g 定価¥62,000 セルフタイマー有り。デート機能有り(2019年迄)。露出補正無し、その他撮影者が調整できる機能は殆ど無し。
フィルム室のフォーカルプレーンシャッターのように見える幕は単なる遮光板です。
撮影操作時に入る時には@常時レンズシャッターが全開で遮光板が閉じていて、光路にはミラーが降りているAシャッターボタン半押しでTTL測光・測距を行う、Bシャッターボタンが押されるとレンズシャッターが閉じ、ミラーが格納され、C直後に遮光版が開いてレンズシャッターが開閉して撮影、D遮光板が閉じ、レンズシャッターが開き、光路にミラーが降りる
という実に複雑な動きをします。ただ動作は瞬時に行われるため、タイムラグは殆ど感じさせません。横長のボディは双眼鏡を覗くように保持しますが、良い位置に窪みがある為しっかりと握ることが出来、ぶれ難いです。
このカメラが発売された頃のミノルタは、写真撮影の高度な自動化に熱心でした。本機も電源ON時にファインダーに目を近づけると測光と測距を始めるアイスタート機能を持ち、被写体をカメラが判断してズーム動作をするAPZ(Advanced Program Zoom)も搭載しています。このややお節介なAPZはズームボタン2つを押しながら電源ONすることにより解除が出来ますが、電源を落とすと保持されません。
1988年発売
約3.8倍のズームレンズを搭載したブリッジカメラ
レンズは 35-135mmF4.2-5.6 TTL測光・TTL位相差検出AF
シャッターは金属製縦走りフォーカルプレーン、B・32〜1〜1/2000
最短撮影距離1.2m(マクロモード時0.49m)
重量1030g(実測)
露出補正、セルフタイマーあり、連射可能、日付機能は2019年迄
電池CRP2 リチウム電池1ケ又は単4型アルカリ電池4ケ
ブリッジカメラの中で最も一眼寄りのカメラと言えるのがこの機種ではないかと。
ペンタプリズムを備え、TTLファインダー下部には絞り・スピードが表示され、プログラム方式の露出は矢印ボタンでシフトが可能です。露出補正も±4段まであり、モーター式ですが、MFも可能。マクロ使用時は100mm固定のMFのみですが、フォーカスエイドが使えます。6段階で角度調節の出来るグリップもあります。
但し重量は1Kgを超えてしまいました。ファインダー面は中央にAFエリアが表示されるだけで、スプリットイメージなどはありません。当然絞込みボタンも無し。ファインダー内ではなくボディ上面の液晶に表示されるAF測距値。ボタンとスイッチの数が多く、ばらばらに配置されている所などなど・・せっかくの多機能が操作の難しさで空振りしている感があります。
そんなふうですので使い心地は見た目通りと言うか、扱い難い訳です。操作系のスイッチ類をもう少しまとめるなどすれば、一眼の代わりに手にする人も多少増えたかも知れませんね。私がこれを持ち出すことが少ないのは、触れる楽しみはあるけれど、それだけの為にはボディが重すぎるところです。
このカメラはオリンパスからもIZM400として販売されていました。スポット測光の有無など機能面では少し違いがあり、映画「バットマン」にも登場していました。
このカテゴリのカメラの中では最も洗練されたデザインではないでしょうか。
あとは京セラサムライIIかな。
ちょうどミノルタアルファでは、ミールで宇宙に行った8700iと同世代かと。
その記念でパールホワイトの8700iと同時に、APEX105もホワイトモデルがありました。
一時期ジャンクボックスでよく見かけた白、買っておけばよかったなあ。
これは白がもう見かけなくなった頃、同じくジャンク箱で千円ほどで確保。
フルオートで使う分には問題ありませんが、ちょっと撮影に意思を入れようとすると大変ストレスを感じることになります。
おおらかな心で撮影すべきなのでしょう。


当時はAFコンパクトカメラもズームレンズが主流でした。
運動会で子供を撮るなどの用途で、どんどん望遠側が伸びましたが、レンズのサイズに限界があり、望遠端はf16を超えるものもザラ。
知人は「暗黒ズーム」と命名していました。
f6.7は十分に明るいのです。


白ボディ、有りましたねぇ。私が黒の本機を購入した4年ほど前はすでに白はレアとされ、高価だったと思います。APEX105は同クラスの他機種よりはAFがあてになり、合焦も早かったように思います。ミノルタもAF・AEに自信を持っていたから、「どんな被写体もカメラに任せとけ!」というスタンスだったのでしょう。一時期はAF一眼レフでも(キヤノン含め)フルオート専用みたいな機種もありましたね。
確かに今思うと、あの暗黒ズームは誰の為だったのでしょうか。
私の所にもニョキニョキ伸びるズームコンパクトが有りました。プラAFカメラが底値の頃に100円で手に入れたエスピオEW(24〜110mmF4.9〜12.5)です。ちなみに望遠域は使いません。コンパクトで24mmという画角に興味があっただけです。
1990年発売
3倍ズームレンズを搭載したキヤノンのブリッジカメラ。
レンズは電動ズームの35mm〜105mmF2.8〜6.6(9群10枚)撮影距離0.8m〜∞
シャッターは電子式プログラムシャッター 2〜1/250秒
近赤外線オートフォーカス、ファインダーは実像式ズームファインダー、本体上部に小さな切替式ローアングルファインダー有り(意外にも見易い)
レンズカバーを兼ねた内蔵フラッシュには鏡胴側にレンズが付いていて、ズーム操作に連動しズームフラッシュとなる。セルフタイマー有り、連射機能有り、露出補正無し、MF機能無し、デート機能(2029年迄)有り、「HappyBirthday」などのキャプション写し込み機能あり。
電源の入切はレンズカバーの開閉による。電池交換・フィルム装填は下蓋を開いて行い、フィルムの給送は珍しくSの字型に送られます。
定価¥64,500 重量は実測655g
当時流行し各社競って発売したブリッジカメラに対するキヤノンの回答がこの機種です。特に一眼レフを思わせるような機能はありません。プログラムのみで、シフトはできません。ファインダーにも何ら情報は表示されません。近接撮影には専用クローズアップレンズ(フラッシュマスク付)が用意されていました。他社製と比べ広角側の明るいレンズを備えていて、ズーム時の鏡胴伸長幅が少ないのは好ましい特徴です。
実際の使用には右手でホールドし左手を添えるような持ち方になりますが、左手側にはグリップに役立つような凹凸はありません。レンズカバーは180度開くので、取り回し時にぶつけたりしないよう、まめに閉じるようになります。
他のブリッジカメラのように多機能ではありませんが、さすがはキヤノン、AiAFも迷いは少なく写りは総じて良好です。大きめのレンズを備えたコンパクトカメラと考えれば優秀な部類です。
1991年発売の多機能カメラ
3倍ズームレンズは35m〜105mmF3.8〜8.5撮影距離0.8m〜∞
電子プログラムシャッターは6.4〜1/500sec セルフタイマーあり
デート機能は2019年迄 電池は2CR5リチウム電池1ケ 重量実測570g
コニカが発売した、ブリッジカメラと言えなくもない多機能カメラです。「ダースベイダー」などと呼ばれてるようですね。
ファインダー内にAF測距結果を液晶グラフ表示、パララクス自動補正、ズームフラッシュ搭載。撮影機能では、スポット測光可、±1.5段の露出補正可、1コマに最大39回の多重露光可、100時間まで設定可能な長時間露光可、インターバル撮影も有りと機能てんこ盛り。ただし、機能設定には背面の小さなゴムスイッチを何度も押す必要があり、爪を短く切っている者には苦痛です。
そして何と言ってもハイライトはレンズシャッター機初のAFエリア選択可能!なこと。背面のノブで5つのAFエリアを(メカニカルに)選択出来ます。これは赤外線の照射部と受光部をノブに連動して左右に僅かな角度でキ振るという離れ業!しかも電気的に動く訳ではないので、電源を切っても中心に戻りません。ファインダー視野に重ねた液晶に現在のAFエリアが表示されます。
でもこれ、視野上下の中心部を水平に5つ移動するだけなのです。AFロックでも事足りるような気が・・まぁ、新たなトライをする事に意義が有ったのでしょう。
写りはコンパクトカメラよりやや大きいレンズを搭載したためか、悪くはありません。が当然一眼レフと比べるような写りではありません。見た目のインパクトが強く、大きさの割には軽いのでブリッジカメラの中では持ち出す機会は多いです。
サムスン電子1994年発売
「韓国のアイボーグ」とも呼ばれた35mm多機能ズームコンパクトカメラKENOX FX-4=SAMSUNG ECX-1です。
レンズはサムスン ズームマクロ38〜140mmF3.8〜10.5(9群11枚)撮影距離0.6m〜∞
シャッターは電子式プログラムシャッターで1/3〜1/400セルフタイマー有り・バルブモード有り 露出補正有り
重量は実測490g 使用電池はCR123A×2、デート機能(2019年迄)用CR2025×1
恐らく日本では販売されませんでしたが、韓・英・仏語説明書付きを米軍基地近くのリサイクル店で手に入れました。
本機は1994年TIPAとEISAコンパクトカメラ部門受賞モデル。ボディはFAポルシェデザインが担当しました。グリップ部分は車のステアリングをイメージしたそうです。
アイボーグと同じように電子的に出来る機能を多数盛り込んでいます。
バルブ(1〜60sec)、インターバル撮影(10〜60sec)、多重露出、ファジーモード(懐かしい)他にもマニュアルフォーカスが可能で、ズーム全域で0.6m〜199m迄数値設定できます。199mと無限遠の違いって何でしょう?
写りは至って普通のコンパクトカメラで、特に文句もありません。レスポンスも良い。強いて言えばアイボーグと同じで設定にボタンを何度も押さなければならない所が面倒で、結局プログラム任せ一択になるところ。
サムスン電子は1980年代後半位からカメラの生産を開始し、主にコンパクトカメラを欧米で販売しました。1995年にはローライやシュナイダーの商標を獲得し、本機の後継機種ECX-2のレンズはスペックは変わらずにシュナイダー銘になりました。
デジタルカメラの分野でも2000年代には世界シェア4位になるなど一定の市場を持っていましたが(ミラーレス一眼のNX1は日本製APS-C機を超えたとさえ言われた)、現在はスマートフォン事業に統合されてカメラの生産を行っていないようです。
1989年発売されたマミヤ光機製6x6cmレンズ交換式レンジファインダーカメラ.
31mm沈胴機構を持ちコンパクトに携帯できる.
交換レンズに応じて採光式ブライトフレームが切り替わり,距離計は実像式で上下像合致式で使えば150mmの精度も確保できる.
中判のライカM3との評価も当時聞かれた.
電子制御リーフシャッター,絞り優先AE,1/500〜1秒,B
レンズは以下の3本が供給された。
標準レンズ,セコール75mmf3.5はオルソメタータイプでは最も明るい開放値と高性能を両立したと当時評価されている.
広角:セコール50mmf4,スーパーアンギュロンタイプ.
望遠:セコール150mmf4.5,エルノスタータイプ.
何れも水準以上、開放から尖鋭で信頼できる画像が得られる。
惜しむらくは、交換レンズがこの普遍的な3本に止まったこと。
もし35-38mmクラスの対称型レンズが供給されたなら、完全にハッセルブラッドから切り替えても良いかと思わせる.
レンズ交換は底部のキーを回転させ内蔵遮光幕でアパーチャーをカバーすると可能.レンズ交換後遮光幕を待避させるとシャッターが切れるようになる.
また露出計はTTLではなくファインダー光学系に設置されている。そのためレンズ交換によって測光重点範囲が変わり、50mmはスポット、75mmは中央重点、150mmは平均測光に近い分布になる.
1993年に645フォーマット、35mmパノラマも撮影出来るマミヤ6MFが登場交代した。(マミヤ光機が大沢商会倒産のアオリで危機に陥った際オリムピック釣り具と統合した92年を挟んで発売)
写真:左150mm,中央75mm,右50mm
ほぼ葉書大の接写ができます.
結構な厚みのガラスレンズが使われていて,見え味は良好ですが,かなり嵩張ってしまい,葉書大にこれほどの労力を払うなら,35mm小型SLRに50mmクラスのマクロレンズを携えて行くのも変わらんじゃないか?と思ったりします.
75mmレンズのフード固定バヨネットに装着される構造です.
レンズが奥に入っていて,50mm前玉に接触するので75mm専用です.


多分この数字は,50mmのバックフォーカス分に合わせているのでしょう.
75mmや(意味無いけど)150mmならもっと沈胴できるはずです.
想像ですが,熱望した38mmも,沈胴できなくなるためラインアップできなかったのかと.
超広角への要望はマミヤ7でかなえられます.そしてマミヤ7は沈胴しない固定ボディになって,ずいぶん嵩張るようになりました.
沈胴しつつ,超広角も使える(超広角で沈胴規制できる)ボディが一番だと思うのですが...


75mmf3.5同士でローライ3.5Fクセノターと比較したところ,コントラスト,滲みの無さで圧倒的にセコールが優秀でした.
柔らかな描写という点で3.5Fも私は好きですが,現代のレンズの高性能を見せつけられました.
というか3.5Fってローライの中では相当硬い写りだと思っていたのに,結構ショックでした.
写真:New Mamiya6 75/3.5, f8, AE, Reala ace 220
出張のお供にマミヤ6と75,150,ハッセルSWAを持参,結局ほとんどSWAで撮影し,75少々,150はほぼ使わず.


”ライカMに匹敵する距離計は出来ない”なんて記事が有ったところにコレが出たものですから、凄いものが出たなと思いました。
6×6では市場性が無いので6×7にしたというのはそんなものなのですかね?
自分はすでにGM670が有ったのですが、しばらくフレームを無駄にしないで6×6に改造するにはどうしようかと考えていました。
現在でも高価で手が出ませんが、レンズ3本でフルコンプというのは美点です。


>”ライカMに匹敵する距離計は出来ない”なんて記事が有ったところにコレが出た
確かに.でも距離計の基本形はライカMを踏襲しているはずですので,オリジナルでは出来ないという文脈はまだ生きている?
> 6×6では市場性が無いので6×7にしたというのはそんなものなのですかね?
発売当時から,この構成のまま6x7にしてほしいという要望が多々ありました.
風景写真で大画面を保って軽量化したいニーズがあったのですね.当時はレンズ交換RF機が絶えていましたし.あ,テヒニカ23はあったか...
確かに当時一般的とは言えないフォーマットでしたが,マミヤは復権の意味も込めていたのかな.
私は66好きですが,ウエストレベルでこそ合理的なプロポーションかなとも思います.
マミヤ6を縦位置で構えようとして途中で苦笑することが時々ありました.
> 自分はすでにGM670が有ったのですが、しばらくフレームを無駄にしないで6×6に改造するにはどうしようかと考えていました。
67と66って実はあまり面積差はないんですよね.プロポーションも大差ないけど印画紙に焼く拡大率は随分違うというのがペンタックスの主張.
私は66ノートリミングにして,拡大率を67〜68と同じにしていました.645ではそれができません.
> 現在でも高価で手が出ませんが、レンズ3本でフルコンプというのは美点です。
多分あんまり売れていなかったのでしょう.だから出てこないし価格も下がらない.
こういうのは現役末期が一番安かったような気がします.そういうタイミングで食い付くようにしています.


80mmレンズに58mm径の専用クローズアップレンズをねじ込み、折りたたみ式フレームをボディ底部に装着、距離27.5cm(10.8”)、撮影範囲210x170mm(8.3x6.7”)の近接撮影ができる。倍率固定で0.32倍、
クローズアップレンズは、マミヤ6用のものと比べて厚みがあり、色消し2枚構成。
使用する際には、80mmレンズは最短(1m)にセットしておかねばならない。
ほぼA4サイズの人工皮革ケースに収納、重量640g,厚み最大4cm程度になり運搬はそれほどでもないが、セットアップ状態の占有サイズと、華奢なワイヤーフレームが問題であまり移動することは躊躇する。
New Mamiya 6 auto close up lens(下) と並べてみると、大変に嵩張る機材であることが一目瞭然。
マミヤ6用近接装置と同じオートアップ形式でも良かったと思うのだが、6用は旧来のオートアップと比べてファインダー補正レンズが大きく不評だったのか、精度上問題があったのか理由は不詳だが、マミヤ7ではフレーム型という全く別形式になった。
それにしても、もう少しやりようがなかったのかと思う。


CLAROVID
1932-34年発売。ローデンシュトック製。
120フィルム、6x9cm判フォールディングカメラ。
重量750g
この個体のレンズはローデンシュトック イザール(テッサー型)10.5cm f4.5 シリアルから1934年製。
他に、イザールf3.9、トリナーf3.8, f4.5つきも販売された。
シャッターはコンパー1/250-1,B, T
レリーズレバーがシャッター前面に装備されている。
フィルム巻き上げは右手側底部のキーを使い、赤窓でコマ送りする。
この個体は6x9窓1個だが、セミ判兼用の窓2個のモデルもあるそうだ。
レンズは自社製だが、ボディはウエルタ・カメラベルクに外注され、同社のソリダと基本的に同じという。
焦点合わせはベッド先端右手側のフォーカシングノブにより、ベッド先端に距離指標が示される。
距離計は二眼式で、ベッド上を前後する前板に機械的に連動する。
一般的スプリングカメラではなく、前述のような構造なので折りたたみで完全フラットになる。
1935年に一眼式連動距離計になったII型になり、最初のモデルをI型として区別するサイトもある。
丁寧に操作しないとタケノコになりやすいと書かれています。
イザールの描写は、戦前モデルなので、コントラストは高くないクラシックな印象ですが、画面の均質性が高く優秀。
分解したサイトによると、前群は反射面が3つの接合レンズで、一般のテッサーを逆向きにした構成です。
何かメリットがあったのか、特許逃れなのかは不明。蛇足ながら、レチナ010のYsar前群の反射面は4つで普通のテッサー。
以前から非常に気になっていた機種でしたが、懇意にしていただいていたコレクターから昨年譲渡されました。
彼のコレクションはいずれも最高の美品ばかりで、よく整備されており動作確実です。


スプリングカメラの元祖、イコンタ系をレポートします。
全体像を解説するのは、膨大な容量。取り合えず、画像のみ掲示。
最初期型、セミイコンタ520(32年)廉価版。
ノバー75mmF6,3デルバルシャッター(〜100)素透視ファインダー。


37年。セミネッター515
一本襷。ハンドストラップが無い。こちらは、後の年式なので、オプチカル透視ファインダー。
ネッターアナスチグマット75mmF4,5クリオシャッター(〜175s)この個体、シャッター粘り。こちらは自分で整備した。


比較のセミイコンタ。36年頃のセミイコンタ520。
テッサー75mmF4,5コンパーラビット(〜500)付。
セミ判。1台持つなら、これが最高と思う。
私の個体は、満州国販売品。状態は良くないが、よく写る。




年初より、<レチナ同盟>の方へ、そのダイジェスト版掲載しました。<レチナ同盟>は画像掲示ができません。
厚かましくも、こちらへ、画像の一部、掲示させて戴きました。
皆様、興味がおありでしたら、今後も、画像掲示させて戴きます。イコンタの詳細<レチナ同盟>の方も、参照下さい。


37年スーパーセミイコンタU531。
テッサー70mmF3,5コンパーラビット。
初期のテッサーは70mmです。
スーパーセミ。今も人気が有りますが、ドレイカイルのギアが小さい。
アルバダファインダーの劣化も。案外使いにくい。


私の個体。テッサー80mmF3,5付。
イコンタ系。1台持つなら、この後のスーパー6、1つ目。テッサーF2,8付。RF、二重露出防止、自動巻き止め付。36年、既に完成している(1つ目には、F3,5付は無い)


距離目盛がm。欧州輸出品と思われる。
一般的でない個体の写りはどう何だろう?
手要らずの美品ではなく、自分で弄りたい。
私、コレクターとしては、少しへそ曲がりです。
その意味で、推奨品も、一般的でないかも?


このタイプには、テッサー105mmF3,5コンパーラビット付の、高級品と、テッサーF4,5オートコンパー付の普及品があった。私のは普及品の方。
戦前のイコンタの中で、最高の仕上げです。但し、アルバダファインダーの経年劣化がある。
スーパー69。1台持つなら、戦後のX又は透視ファインダーの初期型。スーパー69の初期型は、波型襷です。


ネッターアナスチグマット110mmF7,7テルマシャッター(〜100s)付。
私の個体。初期型イコンタ69の本体使ってますが、ボデーシャッター、オプチカル透視ファインダー付。
イコンタ69系の襷。初期型は直線型。その後は弓型。
スーパーの方は初期型は波型。その後は弓形。
ネッター69には、直線型、波型、弓形が、混在する。


私のネッター69。軽く、ボデーシャッターなので、ぶれもなく、使いやすい。但し、シャッターの最高速が100sなので、400フイルムでは、使用が限定される。
セミネッターの方は、175s迄使えるので何とかなる。
スーパー69。流石にドイツ人サイズ。大きく重たい。
1台持つなら、38年頃の、ネッター69の高級品。
テッサーF4,5コンパー付。波型襷、ボデーシャッター、オプチカル透視ファインダー付。
イコンタ69の方も、同様なものがあるが、此方はアルバダファインダー付。




47年、モスクワ1。距離計無しの、イコンタ69のコピー。
モスクワ2。初期型スーパー69のフルコピー。
モスクワ3。69乾板専用。いずれも、襷は波型。インダスター23(110mmF4,5)モーメント23シャッター(〜250s)素透視ファインダー。
51年?モスクワ4。オプチカル透視ファインダー。アダプターを使い、69と66の併用(もちろん赤窓も)
56年、モスクワ5。軍艦部にカバー。レンズは105mmF3,5に。
モスクワ。蛇腹、張革、作動感共に本家イコンタに劣る。
但し、69、66が併用できる(イコンタは、69,645)
レンズ、シャッターはイコンタに劣らず、素晴らしい。
特にモスクワ4。オプチカルファインダーは、本家のアルバダファインダーより、見やすい。数は少ないが、見つければお勧め。
PS)モスクワ4の製造年。51?〜57年製造年は長いが、生産台数は少ない。初期型は、モスクワ2と同じで、素透視ファインダーで、69,66併用(モスクワ2改良改型?)で、後期型はモスクワ5と同じ軍艦部(モスクワ5に残っていた、4の110mmレンズを付けた?)スーパー69フルコピー、オプチカルファインダー付は、ほとんど見ない。


素晴らしい投稿ありがとうございます。
ここまでまとまっている情報は少ないので、大変有用な情報だと思います。
私はSuper Ikonta は66判2.8/80Tessarの532/16 と69判同じくTessar3.5/105が付いている531/2を使っております。
532/16はこれでもかというくらいに面白いメカ機構が入っており大好きですが...重いですねえ。
私の個体の話ですが、鷹の目Tessarだぞと、一人いろいろ撮影して楽しんでおりますが、ある日同じ被写体をRicoh Diacord / Rikenon 80mm f3.5で撮った所圧倒的にリコーが勝者に…。今のところ見なかったことにしております。笑。
儀式が沢山あるこのイコンタ系が大好きです。


リコーフレックスW。私が初めて使った写真機です。
幼稚園の頃、父が、スーパーフジカ6買ったので、もらった。
確か富岡製レンズ。中心部は良いが、隅は流れる。
ダイヤの物は、これを改良、コートを付けた物?
スーパー6。F2,8は、テッサーとして少し無理がある。
開くと隅が流れる。ロライ等の75mmF3,5の方が、素晴らしい。スーパー6初期型のみ、80mmF3,5がある(私の個体)此方は無理が無い。105mmF4,5も良い。
テッサーレンズ。最高ではない。世の中にはもっと素晴らしいレンズが山ほどある(此方は、れんずまにあ様の方がよほど詳しい)
機械式腕時計。ロレックスが最高?セイコーGSの方が好きな人も。
私のように、ミニタリー寄りは、チュチマ、フォルチィス、オリス。
機械式写真機も、趣味の世界。どれが優れているかではなく、何が好きかでは?その意味で、私はイコンタ系です。


CLPO様に押されて、小さい方追加します。
イコンタの小さい方。戦前は127半切のベビーイコンタ。戦後135として、コンテッサ3姉妹が発売された。
49年、イコンタ35,522/24。これが長女。距離計は無く、目測機。テッサー、ノバーF2.8コンパーラビット。又はプロンター。
50年、次女コンテッサ533/24。テッサーf2,8コンパーラビット。
ドレイカイル距離計、セレン露出計付。
52年、3女コンチィナ35,523/24。テッサーF2.8シンクロコンパー又はノバーF3,5プロンターSV。一般形単独距離計付。


コンテッサ3姉妹。当時のレチナ等と異なり、縦開き。イコンタ66の小型版。コンテッサはスーパー6ユニバーサルの小型版と言える。
とは言え、レンズはテッサーF2,8。当時、レチナも、ビトーもF2クラスのレンズ付きを出している。
イコンタ35は50年よりアクセサリーシューが付いた、後期型となる。後期型には、クセナーF2,8付が有り、これは珍品。
私のコンテッサ。セレンは瀕死状態。前の持ち主がレンズを弄り、中玉の位置がずれていた。OHして生き返ったが、露出計は当てにしない。


こいつのコマ送りは特殊。パーフォレーション部をギアで5コマ動かす。
フイルムを左右逆に装填。巻き上げは底面である。
その為、空シャッターは裏蓋を開け、ギアを動かす必要がある。
ペット35ご存知ですか?フジペットの135判。
59年中学生用に開発。こいつはイコンタ35を手本としている。
コマ送り、ファインダー、レンズ共よく研究している。
フイルムは普通に装填。巻き上げは上部。固定鏡胴カメラ。
シャッターこそ200sであるが、写りはノバー付きに劣らない。


120の方にも、コンチィナに当たる物がある。イコンタV、メスイコンタとも呼ばれる。
51年69メスイコンタ524/2ノバーF4,5又はf3,5プロンターSV付。上級機にテッサーF3,5シンクロコンパー付。
単独距離計、巻き止め装置付き、襷は弓型。
私の個体。ノバー4,5付。当時のカラーフイルムに対応した、コート付のノバー、現代のフイルムでは赤に寄る(コート付のテッサーはどうなんでしょうね?)
距離計が本体作動。保持はスーパー69より良い。
当時スーパー69Xが併売されていたので、普及品と言った位置付け。
同じく51年66メスイコンタ524/16ノバーF4,5プロンター又はテッサーF3,5シンクロコンパー付。
此方は、巻き止め装置が無く、赤窓。
その後66の方は54年スーパーイコンタV531/16、56年スーパーイコンタW(セレン露出計付)534/16と続く。
これらは、イコンタ66より少し小型のRF機。スタートマーク方式。
スーパーイコンタの名が付くが、普通のスプリングRF機。本家のイコンタではなく、従弟?往年のスーパー6が持つ、重厚感が無い。
60年頃販売終了。もはやテッサー付きと言えども、スプリングカメラでは、他社製品に対抗できない。
コンテッサも固定鏡胴となり、伯爵令嬢から、おばさんに成り下がる。ツアイスイコンタの終焉である。


フジが写真機製造を始めたのは遅く、戦後である。
48年。TA、B。AフジF4,5、B3,5ロータス(〜200s)
自社製光学ガラスを使った、イコンタ6のフルコピー。蛇腹、巻き革はイコンタに劣るが、本体、レンズは、ほぼ差が無い。
52年。UCレクターF3,5セイコーラビット(〜500s)
全群移動、フルコートレンズ。軍艦部が流線形。目測イコンタ6を追い越す。レクターはテッサーに劣らない。イコンタより少し小さく、丸みがある。日本人の手に馴染む。
55年。スーパーフジカ6。フジナーF3,5セイコーラビット。
距離計連動、スタートマーク方式。54年のスーパーイコンタと、何ら差が無い。手に馴染み、作動感も、スーパーイコンタを超えている。
56年。セイコーMXと成り、ストロボ対応となる。
父がこれを買ったとき<国産最高のプロ仕様、ツアイスイコンにも劣らない>と自慢していた。父がニコンSを買ったので、私の物に。スプリングカメラ初体験。
66スプリング。これがフジ最後の製品。先のペット35を含め、フジは、イコンタを追従、これを追い越した。然し、既に、スプリングの時代は終わっていた。
大学生の頃、スーパーフジカぶら下げ、東京の下町を撮っていた。
横で、げた履き、長髪の青年。同じような写真機で撮影していた。
後に、彼は写真集を出す。私は腕の差を感じた。
彼の写真機は、父親のスーパー6だった。
アラーキーは写真家と成り、私はイコンタコレクターと成った。


テッサーは薄く小さく反射面が少なく、ブローニーフィルムではこれ以上明るくしても平面性がネックですし、フォールディングカメラにはよい落としどころかと思います。多分ツァイスイコンもそう判断して最高級機に採用し、それより多数枚は敢えて外していると想像しています。
考えてみるとツァイスイコンの沈胴カメラにはコリブリのビオターとコンタックスのゾナーというf2以下のレンズがありますが、蛇腹ではf2に相応しい精度が保てないとの判断もあるのかもしれません。
テッサーの画質についてもツァイスイコンの絶対的な自信を感じます、が現代の目で見れば、色々と瑕疵が目に付くのもやむを得ませんね。隅々まで精細な画質を求めるなら絞り込みは必要になります。
スーパーシックス(左)とスーパーイコンタ69III型(右)


66が結構スーパーサイズなんですが。
これらに較べてセミ判は非常に小さく感じられます。
66はドレーカイルを立てなくて良いので開くとすぐさま撮影態勢に入れて速写性が高いですね。


ただし私がよく撮影する夜景:多分当時は暗いところで撮れる利点があったのでは:ではなかなか捨てがたい性能だと思いますが...
スーパーシックス、テッサー8cmf2,8開放、1/50、手持ち400ネガ
但しこれと同じ構図でプリモフレックスのトプコール7.5cmf3.5で撮影した画像はこれよりかなりシャープ。
でも、2/3絞り違いますし、ISO400を使う限り街の夜景ではf3.5とf2.8に手持ち出来る境目があるように思います。やはりf2.8は魅力的です。
ISO800が常用できれば、f3.5やf4.5でもいけるんですが、一般的なフィルムではありませんし、滑らかな画質かどうかは人によって気になるかも。


二眼式連動距離計の高倍率/高精度
単独距離計機の操作性の高さ(大半は目測で撮影し、微妙なときだけ距離計を読むといいかと思っています。常時距離計を使うという強迫観念に囚われると煩雑なカメラと誤解されてしまうでしょう)
1眼式連動距離計の速写性
いずれも捨てがたいし、利点を自在に使い分けるのが理想です。
スーパーシックス 8cmf2.8開放


<鷹の眼テッサー>と呼ばれ、硬く精密画像と思われている。
然し、本家ツアイスの物。柔らかいが、芯はある、と言った所。
確かに中心部は精密ですが、隅は流れている。但し、隅までなだらかに流れ、全体としては、柔らかさがある。
スーパー6。
1つ目は、私の知る限り、最高のスプリングカメラだと思います。
でかく、重さもある。それが幸い、作動性が良いので、手持ち25sまで行ける。400フイルムで開放なら夜景も十分。
私の個体。2つ目F3,5ですが、何とか夜景も。
ドレイカイル距離計。レンズが前球回転だから成せるもの。
(私の個体。購入時本体側のプリズムにカビ。ほとんど当てピンで使っていた。OHしてから、素晴らしさを知った)
テッサーを前球回転にすると、遠景は良いが、近距離は、隅の流れが目立つ。その意味で、F2,8が限度だと思う。
1つ目か2つ目か。
私、1つ目スーパー6は持ってない。但し、使い慣れたスーパーフジカ6がある(ほぼスーパーイコンタ)
比較したことがあるが、フジカの勝ち。日本人サイズ、フルコート全群移動、スタートマーク。加えてフジナーは、富士フイルムとの相性が良い。
但し、年代の差がある。創造と模倣。日本人は、模倣から改良するのがうまい。としか言えない。
夜景。
フジの距離計では、開放が必要なほどの光では、近景についていけない。この点ドレイカイルの勝ち。但し、2つ目はファインダーが小さいので、全体像が?加えて、ノンコートテッサーでは、明かりに結構ハレーションが出る。
参考画像。スーパー6F3,5解放25sASA400
L版で上部を焼いたものをスキャン


戦前35mm用の5cmf2.8クラスも、f3.5に較べてそういう印象で、戦前型に限っては私はf3.5のほうを選びました。
しかし戦後コンテッサの45mmf2.8は設計とガラスが違うのか、開放から見事にシャープで驚かされました。
この路線で中判も製作してくれれば良かったのにと思いますが、コンテッサ世代の中判用大口径テッサーはスプリングカメラに装備されませんでした。
(ハッセルブラッド1000F用のホットグラス80mmは新世代?ロライ2.8Aは旧世代?)
モスクワ5(右)です。
最近は綺麗な個体が安価なので手を出しましたが、無限が少し来ていないので調整しようと思いつつ放置状態です。
インダスター105/3.5は定評がありますが、実力は未だ味わっていません。
満足できる性能が出れば、使い倒そうと思っているのですが....


前玉回転の両端は球面収差が増えてしまい、それは近距離側のほうが著しいことになります。
その結果柔らかいフレア;逆に言えばコントラストの低下と,像面湾曲による周辺画質の低下をもたらします。
さて、それをどうするかは何とかと鋏は使いようでして、絞れる条件なら絞れば球面収差は減少し深度は深まり解決しますし、フレアを知っていてしかも許せるならそういう写真にしてしまう(開き直ってしまう)手もありますね。
スーパーシックス8cmf2.8開放、最短


小耳にはさんだ噂ですが。
モスクワ4までのインダスター23は110mmF4,5。5の24は105mmF3,5。元々モスクワは、初期型イコンタ69テッサー105mmF4,5のフルコピー。
ドイツの敗戦に伴い、ツアイスの人材、光学ガラス、レンズ、工作機材を没収。これらを活用して、組み上げたもの。これはキエフも同じ。
初期のキエフは、ドイツ人技術者組み上げ、その後、徐々にソビエト技術者が組み上げていった(ドイツの技術者が組み上げたのがノーネームコンタックス?)
レンズ交換が前提のキエフは、組み上げ精度が必要。
然し、レンズ交換を考えないスプリングの場合、そこまでの精度を必要としない。加えて、蛇腹があるので、個別調整すれば、何とかなる。
レンズの組上げは、105mmより110mmの方が簡単(105mm基準で組み上げ、106mmに成っても無限は出る)単なる噂ですが。
5の軍艦部に4の表示が有り、110mmの物を見たことがある。
5の襷、蛇腹は4迄の物と同じ。耳を傾ける根拠はある。
個別合わせしていたのなら、一度弄ると、再調整が必要。
但し、上記のような状態なら、無限を出すのは簡単と思います。
思うに、一番難しかったのは、ドレイカイル?私、ドレイカイルがスムーズに動くモスクワを見たことが無い。ここに誤差かあり無限が出ないのなら、難儀なことになる。


なんといっても軽く、距離計連動と自動巻き止めが付いている66判スプリングでは最軽量クラスかと思います。
戦前型の反動が出た感じ・・でしょうか? その辺も妙にツアイスらしい感じがします。


私個人のイメージですが、貴族のイコンタ、庶民のネッターです。
貴族のイコンタは、戦後も残ります。
52年のスーパー6BX533/16。57年まで販売されているので、スーパーイコンタと併売されていた。56年に露出計付のスーパーイコンタ534/16が販売された後、消え去った。
スーパーイコンタ。折りたたむとコンパクトになる、スプリングカメラの基本に返り、本体型から、設計、露出計を含め、すべて装備。
重厚なものがお好みなら、BXを。軽快なものをお好みならスーパーイコンタを。いかにもツアイス。
時代は既に、コンタフレックス、ライカM3。ツアイスもスプリングカメラに将来はないと思っていたのでは?その意味で、イコンタ愛好家への、最終バーゲンだったのかも?
私的には、正当庶民派、潔い、シグナルネッター518/2,518/16が好みです。


ツアイスのカメラ。全てにコードNoが付く。
型式/フイルムサイズ、と成っている。
フイルムサイズ。69判2、66判16、645判数字無し、43(ベスト半切)18、ライカ版24。
型式。イコンタ520、イコンタスーパー530、ネッター515、ネッターボブ510、シンプレックス511、イコンタ35,522等。
その後の改良、二重露出防止、露出計などにより、型式は変化。
イコンタ。29年520、38年521、51年523、52年524
スーパー系。34年530、38年531、同38年532、39年533、55年534。
ネッター。34年515、51年517、53年518。
メスイコンタ524、スーパーイコンタ531、534、ネタックス513、これらは、欠番を当てている。更にコンチナ532、コンテッサ533。
戦前の、ツアイス本社(イエナ)で製造されたレンズには、個別Noがあり、ほぼ記録が残っている。テッサーはほぼ本社製造であるが、3枚玉は委託品もあり、委託品はレンズNoがない。型式優先。
30年922488−1239697
31年1239699−1365582
32年1364483−1389279
33年1436671−1456003
34年1500474−1590000
35年1615764−1752303
36年1674882−1942806
37年1930150−2219775
38年2267991−2527984
39年2527999−2651211
40年2652000−2678000
41年2678326−2790346
42年2800000−以後の記録は、戦火で残ってない。
戦後の物は、ツアイス分割の為、一部概要が残っているのみ。
イエナ
45〜49年3000000−3200000
49〜52年3200000−3470000
52〜55年3700000−4000000
オーバーコーヘン
46〜51年10000−500000
51〜53年500000−1100000
53〜59年1100000−2600000
型式NoとレンズNoを組み合わせると、イコンタ系の型式、年代がほぼ確定できる。
例えば私のスーパーセミ。531、2065〜は37年式、二重露出防止装置の付いた初期型。
セミイコンタ。520、1907〜は36年製造。二重露出防止装置なし、とわかる。
尚、私の記載した名称は、日本式。アメリカでは、43判ベビーイコンタ、645判A、66判B、69判Cとしている。
注1、3枚玉でもツアイス製造の物はNoが付く。と言うことは、レンズNo総数は、テッサーだけでなく、ツアイス製造の3枚玉を含む。
注2、逆にロライ等の汎用テッサーを使った物は、販売年が合わない物もある。
注3、戦後の製品。イエナ製とオーバーコーヘン製が混在しているので、レンズNoのみでは、年式確定できない。型式を優先。
注4、戦後直ぐ(〜49年頃まで)の製品。戦前のレンズ、残った部品を組み合わせたもの(イコンタにネッターの襷が付いた物等)がある。
これは、型式を含め、後の改造品か否か、確定できない。
注5、オキュパイト。戦後すぐの物、他社製品には<連合国占領地域><ソビエト占領地域>と記載がある物がある。ツアイス製品にも、可能性はあるが、私は見たことない。


http://nikomat.org/priv/camera/ikontasix/index.html
先に、スーパーセミに関する、詳細なレポートを挙げておられた。
重複しない範囲でと、イコンタ系のレポートを始めた。
れんずまにあ様が、私の持っていない、1つ目スーパー6、モスクワを追加してくださった。
更に、今回の最終機、スーパーイコンタの詳細なレポート。
後は、最初期型のイコンタ69、66イコンタ(スーパーでない方)、シグナルネッター。この辺りが加われば、ほぼイコンタ系の百科事典。
皆様のご協力のお陰です。


作例写真が見事な画質で、流石は戦後のさんはんテッサーです。
最短撮影距離の件は、f2.8つきの531/16が長すぎるので専用コンタメータを探しているのですが、特に捜索している戦後型クロームには全く遭遇しません。オートアップが存在するならそれでもいいけど、前玉回転だから手軽にはならないでしょうね.
ご紹介のIII型531,IV型534は1.2mならば,まず実用的な距離なのがいいですね。
ナースマン様、最初期のイコンタ69はテッサー105/4.5つきを一時所持していましたが、残念ながらだいぶ前に手元から離れてしまいました。
非常にコンパクトで軽量、精度が高く、評価できる機種です。
さてf3.5の高画質は捨てがたいのですが、やはり私はf2.8級に目がいってしまいます。
近所にオリンパスクロームシックスがあるので何時も飛び降りそうになっては脂汗をながしています。


やはり同じテッサー型のレンズと言っても,本家本元ツアイスの本物は違うなと思わされることが多いです.戦前の7cmのやつも相当いいですし,105mm F4.5 はイコンタでなくエンサインの古いカメラでの経験ですが非常に良いです.ご覧の通り戦後のf3.5はシャープネスや像の均質性が高く,さらにコーティングもよいのでカラーでも性能を発揮するだろうと思います.スプリングカメラは戦前のものにも面白いものがたくさんありますが,このコーティングのことのほか,フィルム面の安定性の点でも新しいものは進歩が大きい気がしています.
最短撮影距離はやはりオートアップが手軽でいいですが,前玉回転では厳しい部分がありますね.スーパーバルダックス用があればよいのですが,これはさすがに存在しなさそうです.
F2.8級は上記バルダックスのほか,やはり最終的にはマキナ67にとどめを刺す感じですが,これは結構重いのが玉に瑕です.F2.8級が少ないのは,やはりシャッターが一回り大きくなるのを嫌ったものが多いのかなと思います.
個人的には,撮影枚数のこともあって6x4.5判のカメラを最もよく使うのですが,一眼式距離計と自動巻き止め,多重露出防止を備えていて軽いもの,というのがあまりないのが残念です.とはいえ急いで撮影するわけではないので,いろいろ買い漁ったけど,セミイコンタのバランスの良さを再認識しているところです.初期のものは7cmで,ほかよりちょっと画角が広いですし.
ドレイカイル連動距離計のコンテッサ
単独距離計のコンティナ
目測のイコンタ35(正式名称はIkonta 522/24)がある。
ボディはほぼ共通で、レチナIより重厚。
自動巻止め、二重露出防止。
私の個体はノンコートのクセナー4.5cmf2.8が付いていて、レチナIよりレンズの突出量が抑えられています。
おそらく戦後直ぐにノバーの供給が途絶えた際にストックのクセナーを入れたものかと。
単なるXenarならレチナで十分ですが、レチナは50mm。イコンタの広角で明るい45mmf2.8は貴重です。またシャッターは1/500-1、Bのコンパーラピードが奢られています。
コンテッサと共通パーツが多いようですが、コンテッサより前蓋が平らで、ベッドを開くだけで正立します。背面のつっかえ板は要らないので裏蓋はシンプル。
コンテッサは指をシャッターの下に入れて多重露光することができますが、イコンタ35はフィルムを入れるか裏蓋を開けて送り歯車を手で進め二重露光防止解除しないとシャッターが切れません。
撮影操作はコンテッサと同じで、構えて左下ノブで巻き上げ、シャッターをチャージし、レバーでレリーズ。操作感は最高速1/500アシスト以外のポジションでは軽快です。
試写しようと三脚を出したら、このカメラ三脚穴がどこにもないので吃驚しました。コンテッサは前蓋の下にあります。巻き上げカウンター機構が収納されている下面には設置できなかったのでしょう。
しかし堂々と三脚穴を省いたカメラは初めて見ました。


れんずまにあ様、イコンタ35にも、三脚穴あるんですよ。
上部の右。フイルムインジケーター表示と逆の方。
真ん中に、切り込みがあると思います。
コインを使って開くと、三脚穴があると思います。
本体を上下逆にして、三脚使用になります。
れんずまにあ様の個体。アクセサリーシューが付いた、後期型ですね。
前期型は、戦前の48年製造。テッサー付きとノバー付きが有った。


流石はナースマン様です。ご教授頂き有り難うございます。
コンテッサなどと較べて軍艦部、特にカウンターがない側はマイナスネジだけで寂しいなあと思っていましたが...
折角スローが充実したコンパーラピードが付いているのですから、三脚穴なしでは矛盾しますものね。
ps.コンテッサ用のコンタメータが装着出来る事を確認しました。コンタメータは単独距離計ファインダーなので、イコンタ35が距離計無くても全くコンテッサと同じように近接撮影できます。アクセサリーシューの位置が1cmほど下がるので、どの程度視野が影響されるかテスト中です。


105mm、F4,5ノバー付き。弓型襷。ボデーシャッター。オプチカル透視ファインダー。250sコンパーシャッター付。
仕様から、38年制と思う。実は私、先に挙げた、同年制のネッター69を持っている。これは、如何にもネッターと言う普及品。
しかし今回の物は、ネッターとは思えない高級品。
37年までは、F4,5テッサーの付いた物も有った(襷は波型。透視ファインダー)が、38年には無くなった。
38年当時、最高級のネッターである。又、私にとって、初めてのノンコートノバー。
ASA400フイルムなら、100sでF11。目測でも5m以上問題ない。最高速250s。現在のフイルムにも対応している。
これが何と2160円。レンズ。拭き傷はあるが、カビ、曇りは無い。
コンパーシャッター。ほぼ問題が無い。前の持ち主が手を入れていた?
蛇腹。劣化は有るが、光漏れはない。イコンタ系の蛇腹は、ネッターと言えども、ボロボロの物を見たことが無い。
張革。痘痕も有り劣化。塗装。剥がれ劣化している。
可動部分に注油。張革、蛇腹にレザーコートを塗り、1日養生。磨く。
塗装。幸い黒枠。プラモ用のエナメルで、ハケ塗。
状態は、問題無くなった。最近フジGS645Sを持ち出したが、大きい。その点、ネッターは畳めばはるかに小さい。
重さも、GSは770g程であるが、ネッターは690g程。スーパーイコンタ69、スーパー6より軽い。私にとっては、理想的かも?
後は試写のみ。でも69の撮影は中々大変。
やっと、試写が上がった。今の世の中、69焼くと1月かかる。
100s、F8。コートが無いレンズ。古典的な画像である。私の好きな画像である。
何故か縦に取り込まれた?PCには横画面で取り込んでいるのですが?
よくわからない。このままですみません。


このタイプの機種は良く判らないので知らなかった事が多く大変興味深く拝読しています。(…手を出すには難しそうです。)
ノバーレンズに興味が有って色々と調べているのですが、No661と663の画像はどうやって撮影されたのでしょうか。
2枚の画像はサイズが異なっているだけで、同じ画像データの様です。(パナのFZ-30で撮影したとデータが出てします。?)


画像も、別投稿したものです。今回、PCに取り込んでいた画像を、組み合わせて投稿した。
どうやら、比較の為、デジカメで記録したものを、混入させたようです。削除しました。
当時、セミイコンタはフイルム軸より光漏れ。セミネッターはシャッター粘りを、調整中。当時は、ブローニーも豊富だった。
一応、本来の画像も掲示しておきます。


先日、2160円で手に入れたネッター69。赤窓のシャッター。見たことのない、初めての形。
長方形のでっぱりの中に、丸形のシャッター。他の仕様から、ほぼ38年と限定できる。
同年式と思う、先に持っていたネッター69は、六角形のシャッター。
同じく同年のスーパーイコンタ69。金属の丸枠の付いた丸形2個(先の比較写真参照)
どちらとも違うので、初め他の部品を流用した改造品?と思った。
然し、ネット検索していると、同年式(レンズ、シャッターも同じ)ネッターの動画が有った。同じタイプの赤窓シャッターであった。
更に検索していると、それ以外にも、同型の物が有った。
初期型のイコンタは赤窓のみでシャッターが無い(34年頃)
長方形の中に、丸形のシャッター。これが、赤窓シャッターの最初の型(36年頃)
イコンタ69は、セミ判兼用。戦前のフイルムには、セミ判の枚数表示が無い。
69の物を2度出しするので、赤窓が2つ。金属の丸枠が付いた丸形。
セミイコンタ、セミネッター共に同じ理由で、69と同じ、金属枠付き丸形2個。最後が、六角形(戦後の物も同じ)
六角形に成ったのは、37〜38年頃と思われる。
ネッターは、イコンタの型落ち部品を使っている。ロットによる個体差が在る。
戦後。フイルムに、セミ判の枚数表示が付いた。セミイコンタ、ネッター共に、六角形1個に成る。
因みに、37年のテッサー、コンパー付、波型襷のネッター69(これが最上級のネッター)これも、長方形の中に丸形。
私の物は、38年F4,5のノバー、コンパー付、弓形襷(38年には、テッサー付きは無くなっている)
私の、もう1台のネッター69。F7,7ネッターレンズ、テルマシャッター付、普及品。
此方は、先に述べたように、六角形。同じ38年でもこちらの方が後期の製品?と思われる(先に述べたように、ロットによる差が有るので、断定できない)


ツァイスイコン製、戦前型の近接撮影用単独距離計。
1341はスーパーイコンタ6用で、シリーズには1339テナックスII,1342スーパーネッテル&ネタックス,1343コンタックスI,II、1340コンタックスIII用(電気露出計分パララックスが大きい)があった。
1341は、70cm、50p、20pの3距離に対応した円筒状の偏角プリズムをコンタメーター距離計本体前面のソケットに交換挿入し、それぞれの焦点距離のプロクサーレンズをカメラレンズ前面にかぶせて使用する。カメラ本体側の距離は無限遠固定。
ファインダーは6x6用に正方形マスクが入っている。距離計はファインダーを兼ねたいわゆるメスズーハーとなっているが、ブライトフレームはなく視野は曖昧だ。
戦前型コンタメーターには上下に俯角がつけられたアクセサリーフットが上下に固定されており、フットをイコンタのアクセサリーシューに差し込む。浅角度側を差し込めば70,50p、180度倒立させ急角度のフットを使うと距離20pに対応したパララックス補正が得られる。


戦前型は、見えは確かに戦後型には及ばないが、20pと異例に寄れるユニットを含むのが特徴である。確かにコンタックス用にも20pはあるが、スーパーイコンタボディは大きく、コンタックスと比べてレンズからアクセサリーシューまでのパララックスが大きいため、俯角も大変大きくせざるを得ず、視野を厳密に決めることは困難だろう。
余談だがフジGS645用近接ファインダーはちょうどはがき大の接写が行えるが、そのブライトフレームは斜めに見込む分台形になっている。50pまではともかく、最近接で斜めに見込むと視野は台形で当然なのである。戦前型はガリレオ型でフレームはないので、余計に撮影範囲は山勘になる。


ところが20pはほぼ1/2倍から1/1.5倍に相当する拡大率であり、当時どのような必要があったか興味がある。
想像だが、葉書や小判の文書の複写を目指したかもしれない。これならコピースタンドがなくても、または壁面掲示状態でも、カメラと被写体との平行を保つよう注意しておけば、あとは中心出しと距離設定はコンタメーターがやってくれるため、機動性が高いだろう。
蛇足ながら(1937年)戦前型1338スーパーイコンタ用は、交換プリズム3種類70,33,20cm、フット1個で角度調整可能。
1339,1340,1342,1343も70,33,20cmクローズアップレンズ共通で、1341のみが70,50,20であった。
戦後型コンタメーターについて、いずれ項を改めて解説するが、少し触れて終わりたい。
戦後は上にも記したように、距離ダイヤル3種切替、採光式ブライトフレームのクロームメッキ製品になった。"439"コンタックスIIa,IIIa用,"441"コンテッサ35用,(形式不明)スーパーイコンタ6(f2.8機)用がある。また距離20cm固定の簡便小型のコンティナ、コンテッサ用もある。
フォクトレンダー連名になって、プラスチック外装、アルバダブライトフレームの製品が出た。これは距離固定ではなく、近接距離計で測距したクローズアップレンズに応じたダイヤルの数値を読み取り、カメラ本体側の距離数値に移し換える機構で、ほとんど無段階変倍になる。


スーパーイコンタ532/16 トライX,絞り開放、
20cmは、合焦精度はひじょうに優秀。深度はほとんどない。実用的にはもっと絞り込むほうがよいが、画面のほとんどがアウトフォーカスの作品も面白い。
50cmと70cmはすこし後ピンだった。これも開放でなければ実用的に問題にならないと考える.


やはり皆様が高く評価している通りの高画質です。
80年代以後の近代的中判と比べると若干コントラストが低く感じられますが、トーンは豊かです。
モノクロであれば現像処理でカバーできる範囲でしょう。
スーパーイコンタ69V(532/2)テッサー105mmf3.5、f8、1/125、T-Max100


戦前モデル。616フィルム、6.5x11cm判。
テッサー120mmf4.5、コンパーラピッドB, T, 1-1/400
20年前に入手、120改造をもくろんでいましたが、手をつけぬままお蔵入り(時々作動はさせていた)
今回120スプール上下に装着して616フィルム室に入れられるアダプターを購入(3Dプリンター製)したので実用可能になりました。
巻き取り側にも入れられるよう4個セットでしたが、616スプールを巻き取り側に使っても良いかも。


616機は魅力的なものが多いのですが、残念ながらフィルムが随分昔に生産中止でそのままでは使用できません。
120フィルムを616機に使用できるアダプタは時々見かけますので試しに購入してみたところ、3Dプリンタで制作したと思しきものが届きました。
5.6x11cmというパノラマに近いフォーマットになります。
どうも530/15には少し径が太いようで、フィルム室に出し入れがきつく、回転も円滑ではありません。撮り進むにつれ抵抗が増えて最後の1枚はダークバッグで入れ直さないと給走できませんでした。少し径を削るべきかも。
それに120フィルムスプールのツバ部分も530/15には径が太すぎることがわかりました。おそらく620ならちょうどいいのでしょう。装填前にツバを落とす、620同様の作法が必要かも。
120フィルムにも問題があります。530/15の赤窓から見える裏紙のナンバーは6x4.5用で、そのままでは11cmまたは12cm送ることはできません。
アクロスの裏紙を使ってナンバーと中間の○で6枚送れるように書き留めたところ、T-MaxやIlfordの裏紙には中間の○がなく、相当目分量と勘が必要でしたが無事6枚重複なく撮影できました。フジ製品であれば、注意深く送れば7枚撮れそうです。
巻き取り側もアダプタと120スプールでもよいのですが、616スプールでもタケノコにはなりませんでした。ただ上下にスペースができるので、取り出しはダークバッグになり616スプールではフィールドで交換不能になりますね。
一番手前のスプールが120用


1台見つけたのですが、当時の私の技術では120に改造不可。
諦めた物です。ぜひ画像が見たいものです。


これは改造ではなく、フィルムスプールの上下に噛ませるアダプターなので、カメラ自体にはなにも触っておりません。
テスト結果があがりましたので、ちょっとつまらない画像ですがご参考に。
素晴らしい解像力、シャープネスです。さすがはテッサー120mmf4.5
右上端の建築が樽状に歪曲して見えますが、フィルムカールの影響かもしれません。
アパーチャーに簡易的にパーマセルで6cm幅の120フィルム用のガイドを貼り付けてみましたが、素材が柔らかいのでカールが防げません。
127フィルムでは時にみられる現象で、次回はしっかりしたレールを考えてみます。


以前テヒニカ45に135mmで同じ被写体を撮影したことがあり、それと比べてはるかに簡便に持ち出せます。
ただし赤窓の指標が問題で、フジのフィルムなら正確な設定が可能ですが、コダックやイルフォードでは若干山勘になり、今回もコマ重複がおこってしまいました。
最初の想定では、ホースマンの広角612カメラとペアで持ち出そうと考えていました。
距離計が使いやすいので、目測カメラのバックアップにも役立ちます。
ただ、120スプールのリムを削らないとフィルム室に入らない/巻き上げられないため,現地でやると手間が悩ましいです。

