ナショナル・グラフレックス

2016年1月

ナショナル・グラフレックスは、フォルマー・グラフレックス社(当時)が1933年に発売した一眼レフカメラである。ここに示す個体はレンズ交換が可能となったシリーズII(1934年発売)で、以下に述べるような数多くの特徴を持つ。第1に、当時としては珍しい(おそらく最初の)67判専用のカメラであること。第2点目は、それまでは木製であったグラフレックス大型一眼レフに対し、全金属製であること。最後に、なんとレンズがミラーボックス内に格納でき、収納するとほとんど外観からカメラらしい特徴が消える「カプセル型」の一眼レフカメラであることである。レンズを格納し、上部の蓋も閉じると、ほぼ完全に上下・左右・前後対称の箱状の物体になってしまう。唯一目にすることが出来るシャッターダイヤルの表示も1〜9の数値が書かれているだけで、貼り革や塗りの雰囲気から感づかなければ、とてもカメラには見えない物体だといえよう。

撮影状態。1930年代前半の一眼レフカメラであるため、ファインダフードは後のものとは異なり、非常に深いものがついている。フードの内部にはルーペがついており、背面側から起立させることが出来る。

シャッターダイヤルの数値とシャッター速度の関係を表した表がファインダ背面に設けられている。スローガバナーが備わっておらず、シャッター速度はスリット幅のみによってコントロールされる。シャッター速度は 1/30〜1/500秒。この表のすぐ下にルーペを起立させる小さなノブがある。上カバーの裏面には、露出を決定するための表が備わる。セノガイドなどとは異なり、全て文章表現による。現れる数値はシャッターダイヤルの数値そのものである。

解説動画

ナショナル・グラフレックスの操作方法

カメラの操作は全てこの上面で行う。左側の大きなシルバーのノブはフィルム巻き上げノブで、時計回りに回転させてフィルムを巻き上げる。フィルム送りには巻き止めが備わっているので、赤窓は最初の1コマ目の位置を合わせるためだけに用いる(フィルムの裏紙には67判に対応するコマ数表示がないので、全てのカメラに巻き止めがついている)。

ファインダ左脇に備わっている前後に動くノブはミラーセットノブで、手前側に引くとミラーが下がる。巻き上げによりミラーは自動セットされないので、必ず手動でミラーを下げる必要がある。ミラーの周囲は遮光されており、一方、シャッターはセット途中でもスリットが開いたままなので、必ずシャッターセット前にミラーを下げなければならない(ミラーが上がっているときはシャッターダイヤルがロックされるので巻き上げはできなくなる)。

左側手前のボタンはシャッターボタンで、後述するモード切替ノブが I の位置(通常位置)にあるときは、このボタンを押すことでミラーが上がり、つづいてシャッターが走行する。シャッターボタンの右斜め上にある穴はレリーズケーブルを接続する部分である。

右手側の手前の黒いノブはシャッターダイヤル兼シャッターセットノブで、シャッターを切ると回転する。シャッターをセットする(巻き上げる)には、このノブを時計回りに巻いていく。シャッターは巻き上げに連動してセットされるわけではないので、撮影前に巻き上げる必要がある。前述したように、シャッターはスリットが開いたまま巻き上げられるので、巻き上げ前に必ずミラーを下げておく必要がある。シャッター速度を変えるには、シャッターダイヤル周囲を持ち上げて回す。「1」の側に巻き上げると後幕だけを余分に巻き上げたことになり、シャッター速度が遅く(露光時間が長く)なる。「9」の側に戻すと後幕が閉じる方向に動く。

シャッターダイヤルの左上にある黒く小さなノブはモード切替で、「B」の側に動かすとバルブ撮影モードになる(上の写真では「B」にセットされていることが、ダイヤル上の小さな白点で分かる)。この時はシャッターボタンを押してもミラーが上がるだけなので、実際に露光するには、このノブに繋がった黒いレバーを動かす。これによりシャッターが途中まで走り、指を離すとシャッターが閉じる。「B」の時はシャッターダイヤルを「1」の位置に合わせておく必要がある(さもないと、画面の一部しか露光されない)。ノブのすぐ手前にある銀色の四角い部品はバルブ撮影専用のレリーズケーブル接続部である。

右手側の一番上にあるのはフィルムカウンターで、その下に巻き止め機構が備わっている。巻き止め機構は巻き上げ側には働きかけず、送り出し側のスプールにロックを掛ける方法である(そのためフィルムには強いテンションがかかる)。撮影後、フィルムカウンターの左隣のシルバーの丸いノブを手前側に引くことで巻止が解除され、フィルムを巻き上げることが出来る。フィルムカウンターをセットするには、このノブを引き上げて回す。カウンターの表記は S, 2, ..., 9 で9ポジションしかないが、撮影はSから始め、Sまで戻ると最後のコマとなるので、10枚撮りである。

1コマの撮影ごとに、ミラーセット、フィルムの巻き上げ、シャッターのセットの3つの操作が必要である。

この動画は動作の様子と、レンズが格納される様子を示したもので、わかりやすいようファインダとファインダスクリーンが取り外してある。まず底蓋を外す。最初はミラー・シャッターともセットされた状態であり、。モードは通常モード(I)である。そのままシャッターを切り、再度ミラーのセット、巻き上げ、撮影動作をしてから、3回目にはバルブモード(B)に切り替えてバルブの動作を見せている。最後にレンズが内部に格納される様子を示している。

レンズ格納機構

レンズを格納するには、レンズの下部に備わった蓋をそのまま押しこむ。この蓋はレンズボードと一体のL字型になっており、回転するようにレンズが格納される。このとき、ミラーはセットされていなければならず、またレンズのピント位置は無限遠側に戻して置かなければならない。ミラーが上がっているときはレンズが格納できないようになっている。この動作により、ミラーは直接、レンズボードによって押し下げられる。

カメラからファインダフードとファインダスクリーンを外して、レンズ格納状態を覗いたところ。この標準レンズの他に望遠レンズの設定があるが、もちろん格納できるのはこの標準レンズを取り付けた場合だけである。

他のカメラとの大きさの比較

単純な、原始的なカメラであるが、小型化には注力されており、実際に非常に小さい。一眼レフでは宿命的にスペースを消費してしまうミラーボックス内にレンズを格納することで、写真のように66判のカメラ「ゼンザブロニカS」と較べてもかなり小さいことが分かる。

同じ67判カメラであるプラウベル・マキナ67と比べた。奥行きはさすがに大きいが、高さと幅はより小さい。

重さは僅かに930g で、中判一眼レフカメラとしては非常に軽いカメラであり、それどころかレンジファインダー型の「プラウベルマキナ67」(1250g)や「マミヤ7」(レンズ付き 1210g)に較べても圧倒的に軽い。ブロニカSに比べると約半分の重さである。

かなり小さいのにそうは見えない原因の1つは、レンズが相対的に小さいからである。35mm一眼レフカメラ用の標準レンズと比べるとこんなに小さい。

その他

ナショナル・グラフレックスの標準レンズは、ボシュロムがライセンス生産したテッサーである。「IC」とあるのは大判用などの初期のテッサーに「テッサー」の名称が付けられる前から付されていた記号である。IC はいわゆる「Cテッサー」と呼ばれ、F値が 3.5 と明るいレンズを指す。面白いことに、このレンズの銘にF値は記載されているが、どこにも焦点距離(75mm)が書かれていない。

レンズマウントは独特の形式で、レンズ周囲に見える銀色の金具を上向きに抜き取るとレンズが前方へ抜ける。要するに、マウント左右に設けられた溝を通してレンズ側の溝に巨大なCクリップが嵌めこまれた構造になっている。

底蓋からボディを抜いたところ。67判の画面の左右にはシャッターを巻き取る筒が納められた部分があり、フィルムそのものはそのシャッター筒ケースよりもレンズ側に納められる。シャッターはいわゆる「4軸式」で、右側・左側ともに先幕・後幕それぞれ専用の軸が設けられている。このカメラにはフィルムゲートはなく、また底蓋にも圧板などは備わらない。底蓋の背面とボディの隙間はさほど大きくないが、フィルムを巻き上げるとフィルムにかなり強いテンションが掛かることもあって、後のカメラに比べてフィルム位置の安定度が低いカメラである。

整備のために右側のカバーを外したところ。手前の大きなギアが先幕の位置を決めるギアでシャッターダイヤルの内周に対応し、その左に半分隠れた小さなギアが先幕のドラムにつながっている。大きなギアの上にもう1つ、同じ直径のギアが被せられ(上の写真では撤去されている)、上側のレバーの間から頭を出した小さなギア(後幕のドラムの軸)やシャッターダイヤル外周と繋がり、それらの間の相対的な角度をシャッターダイヤルで決めることでシャッター速度が決まるという原始的な構造である。ただし、調整はかなり難しい。

グラフレックス社のシャッターは、初期のグラフレックスカメラ(木製大型一眼レフカメラ)にしろ、後のスピードグラフィック等にしろ、1枚のシャッター幕に様々な幅のスリットを設け、シャッター速度はそのスリットそのものを選ぶ方法で変えるようになっている。それに対しこのナショナル・グラフレックスは、ライカ等と同様に先幕・後幕が独立しており、それらの位置関係によりスリット幅を変えるようになっている。ただしスリット間隔を広げるとそのぶん後幕は巻き上げられ、ライカのようにどのシャッター速度でも常に同じ位置からスタートするわけではない。言い換えると、シャッター走行中は常に先幕と後幕が同じ速度で走っているわけで、位置関係は固定されており、この点でグラフレックスの伝統に忠実である。幕のリボン同士の摩擦もこの方式では問題にならず、高速シャッター時のむらも発生しにくいはずである(途中で閉じてしまうなどの危険はまずない)。

画面右上のフィルムカウンターノブの下には、送り出し側のスプールの回転角からフィルム送り量を決める機構が納められている。

ナショナル・グラフレックスの撮影例

かなり古いカメラということもあり、撮影に使えると確信できるまでには要整備箇所が多く、殆どの部分を潤滑・調整した。最初はまともにシャッターが走らず、ミラーも上がり切らない状態であったが、シャッター幕のテンションを調整し、清掃・潤滑も行うと、きちんと軽快に動作するようになり、撮影後のシャッターダイヤルロック(ミラーを下げないとシャッターを巻き上げられないようにする安全機構)も動作するようになった。

開放絞りでの撮影例である。さすがきちんとライセンスされたテッサーだけあり、開放からシャープである。背景のボケは口径食のためか楕円がかなり扁平になる。

最短撮影距離、F5.6 での撮影例である。順光ということもあってコントラストもちゃんとついている。しかしさほどシャープでないのは手ブレのせいかもしれない(1/125秒で撮影)。

テッサー型の 75mm レンズでは普通66判までのところ、67判で撮影しているためか、4隅は画質が急に悪くなるが、思ったほど範囲は広くない。

この写真も中央の草むらはシャープであるが、実は意図してここにピントを合わせたわけではない。このカメラには圧板がなく、フィルム面の安定性に難があるように思われる。巻き止め機構がフィルム送り出し側で、フィルム巻き上げ側にはワンウェイクラッチが付いているためフィルムにはかなり強いテンションがかかるが、このテンションの強さなどによってフィルム面の位置が変化するようだ。上下にフィルムゲートの段差を持つ、自作の圧板をつけると改善するかもしれない。

この写真でもやはり、屋根瓦の右よりはシャープだが左はよくなく、他にもシャープな部分とそうでない部分があちこちに現れており、フィルムの浮動であるように思われる。

撮影結果ではフィルム送りも正常に動作しており、コマ間はかなり狭いものの重なることもなく、10コマの撮影を終えることが出来た。ただ、撮影手順がやや複雑で、ミラーセット・シャッターセット・フィルム巻き上げの3つの動作があるカメラはあまりないので、最初の1コマ目はつい二重露出をしてしまった。ダイヤル類が小さいため操作に要する力も大きく、思ったほど軽快とは言いがたいが、左右から鷲掴みにし、左手の親指でシャッターボタンを切ると、思ったよりはホールドも悪くなかった。

1930年代と、その前後の一眼レフについて

一眼レフカメラはロールフィルムが登場・普及する前(カットフィルムが主流の時代、1900年前後)から、グラフレックスの大型木製一眼レフやソホフレックスなど大型カメラとして一旦隆盛を見せる。しかしその後、連動距離計の技術が発展するとともにロールフィルムを用いるより小さなカメラが広く普及し、戦後にニコンやハッセルブラッド、ゼンザブロニカ等が使いやすく信頼性の高い一眼レフカメラを生み出すまではマイナーな存在に終止した。もちろんその間でも、ライカ・コンタックスなどのレンジファインダーカメラやイコンタ等のスプリングカメラ、ローライフレックスなどの二眼レフカメラの影に隠れるようにして、レフレックス・コレレやエクサクタ、ピロートなどの一眼レフも存在し続けたことは確かであり、このナショナル・グラフレックスもそのようなカメラの仲間である。これらの、いわば中期の一眼レフ(ロールフィルム専用で金属製の一眼レフ)の登場は1930年代中盤に集中しており、戦後の一眼レフ全盛期の種を撒いた。これらのカメラは今から見るとさまざまな機能が欠落しており使いにくいのは否めないが、その代わりに現代の中判一眼レフよりも小型軽量であり、機能や操作、デザインに独自の工夫が見られるのも楽しい。

一眼レフはどうしてもミラーが上下するミラーボックスのスペースのぶんだけカメラが大きくなる。そこで、初期の大型一眼レフの時代にもミロフレックスやメントール、イハゲー・パテント・クラップ・レフレックスなど、幾つもの「折り畳める一眼レフ」が提案されてきた。このナショナル・グラフレックスは折りたたみ式カメラではないが、ミラーボックスにレンズが収納できるというアイディアは、やはり一眼レフでどうしても気になる「ミラーボックス」をなんとか活用しようというアイディアであったということが出来るだろう。またその他の形式のカメラでも、数々のスプリングカメラコダック・メダリストなど、レンズからフィルムまでの「暗箱」のスペースを節約できるカメラが主流であり、当時は中判カメラといえど、小型であることが大きな価値を持っていたことが分かる。35mm判であっても、レチナヴィテッサなど、小さくなるカメラはもてはやされていたのだ。しかし戦後になってそのようなカメラはほとんど消えてしまい、特に一眼レフにおいては、小さくなるカメラが皆無となったことは残念でならない。

グラフレックス社は一時期、報道分野を席巻したスピード・グラフィックで大きく伸びた会社であるが、もともとの社名は「フォルマー&シュウィング」であり、グラフレックスはその初期の製品である一眼レフカメラに付けられた名前である。「ローライフレックス」などと同様、「フレックス」はミラーを持つ(反射:reflex)ことを指し、それゆえスピードグラフィック(スピグラ)は「グラフィック」であり「グラフレックス」ではなかった。しかしこの「製品名」グラフレックスが後に社名となることで少々、話が複雑になってしまったきらいがある。現代から見ると、グラフレックスの代表的な製品は一眼レフとは関係がない、スピグラやグラフレックスXL等だからである。