プラウベル マキナ

マキナの由来とその歴史

マキナとは、もともとドイツ・フランクフルトのカメラメーカであるプラウベルが1920-1960 年ごろに製作した、69判を主とした距離計連動折りたたみカメラでした。これはプレスカメラの範疇に入るカメラですが最終的にはレンズシャッターを用いながらレンズ交換式となり、またプレスカメラらしくフィルムバックを取り外してピントグラスを用いることができながら小型軽量であるなど、非常に独創性が高く、また高品質なカメラでした。

その後、プラウベルの経営を担当していた創設者の息子が老齢となり、1975年、日本のドイグループに会社を売却します。ドイグループはカメラ販売店「カメラのドイ」を中心とした企業体ですが、創始者の土居君雄氏は単なる企業人ではなく、写真機に関して情熱を持ち、有数のコレクターでもあったということです。

さて土居氏はプラウベル買収後、自らが理想とするカメラの製作に取り掛かります。まずはドイツのプラウベル社が試作しましたが(Makinette67)、土居氏は満足しませんでした。しかしこのときすでにレンズはニッコールに決定しており、マキナに搭載されているものと同じ 80mm/F2.8 が装着されていました。これは、土居氏の強い希望だったようで、後に社長同士が知り合いであった小西六(現・コニカ)に設計を委託するようになっても、コニカ製のレンズを装着することにはどうしても賛成されなかったということです。しかし最終的には、ボディに関してはこのコニカ設計部による設計が製品となりました。

マキナの設計者は、「現代のカメラ技術にもっとも大きな影響を及ぼしたカメラ」といわれる、ピッカリコニカ、ジャスピンコニカの設計者でもある内田康男氏です。

さて1978年のフォトキナで発表され、1979年から発売されたプラウベル・マキナですが、上記の経緯からもわかるようにブランド名こそプラウベルですが、製品としては設計から製作まで日本製のカメラとなりました。当初は、金属羽根式のメタルフォーカルプレーンシャッターや、マキナにも採用されているレンズシャッターで有名な、コパルの子会社であるコパルコーオンにより製作されました。しかしその後まもなく、土居氏の知り合いであるマミヤ光機の社長から生産の集約を提案され、1981年からマキナはマミヤによる生産に切り替わります。

その後、55mm/F4.5 のニッコールレンズを搭載したマキナのワイド版、マキナW67や、マキナ67の改良型であるマキナ670(レンズはマキナ67と同一)、またニッコールレンズは用いていませんが、69判の超広角シフトカメラ、プラウベル69Wプロシフトなどが生産されましたが、1984年3月のマミヤ倒産により、マキナは1986年の生産休止に追い込まれます。これは同時に、最後の中判用ニッコールが消えていったことをも同時に意味するのです。

解説動画

マキナの特徴


たすき構造による沈胴とフォーカシングの様子。格納状態、無限遠合焦、最短撮影距離合焦の3状態。

さて、1979年に発売開始されたプラウベル・マキナ67ですが、これは最後のニッコールレンズ搭載中判カメラであり、すでに電子化が大きな流れとなっていた時代に設計製作されたにもかかわらず、電子的な装備は最小限に押さえられています(例えばAEカメラであるニコマートELは1972年、ジャスピンコニカは1977年)。具体的には、完全機械式のレンズシャッターにスポット測光を組み合わせたマニュアル露出カメラであり、電池はなくても撮影は続行できます。


バッテリー(SR44を2個)はレンズボード左側面に格納する(左)。
露出計は、巻き上げレバー下の黒いボタンを押している間だけ動作する(右)。

露出計は距離計の対物窓から測光を行いますが、その測光範囲は距離計の二重像にほぼ一致しているため、露出の決定は正確かつ簡単です。もちろん露出計は、レンズ外周のシャッターリング・絞りリングおよびフィルム感度目盛りとは完全に連動します。そのために、レンズとボディをつなぐリンク機構の内部に電線が通っており、ボディ側で測光、露出計のON、そして露出計の表示を行います。また電池はレンズパネル側に内蔵されます。露出計はファインダ内に表示され、赤色の+、−表示とその間の緑色の●表示(適正露出)という、Nikon NewFM2 などと同様の形式になっています。真中の●のみが点灯している状態で±0.2EV 以内であることを示します。また測光素子には、ガリウム砒素リンフォトダイオードという、通常のシリコンフォトダイオードよりも高性能な素子が用いられています。


折り畳み・焦点合わせ機構


シャッターチャージ・レリーズメカニズム

シャッターはコパルの0型がレンズに組み込まれていますが、これのチャージおよびレリーズを、リンク部分に巧妙に隠された1本のワイヤーの巻き上げと弛緩によって行うメカニズムは独特です。巻き上げレバーを操作すると、このワイヤーが引っ張られることでシャッターがチャージされます。巻き上げレバーを戻してもこのワイヤーは元の位置へは戻らず、レリーズボタンを押した時に、このワイヤーが途中まで弛緩されることでシャッターが切れます。レリーズボタンから指を離すと、さらにもう一段階ワイヤーが弛緩されます。これはバルブ露出のときのシャッター閉の制御のために使われています。またレンズの焦点調節は、X文字型にクロスしたリンク機構の、ボディ側の取り付け部の間隔の変更によって行われ、これは戦前のオリジナル マキナの伝統を引き継いだ部分と言えるでしょう。コダック レチナなどのように、同じようなリンク方式を用いた折り畳みカメラも多数ありますが、これらのほとんどは折り畳みのみにパンタグラフを用い、焦点調整は別のヘリコイドによっている点が異なります。なお焦点調節は、シャッターボタン外周のリングの回転により行われます。


左:Nikon FG + AiS 50mm F1.8  右:Plaubel Makina67

結果として、現代のレンジファインダーカメラの必須条件である、巻き上げと同時に行われるシャッターチャージ(セルフコッキング)、ボディ側のボタンによるレリーズ、レンズ繰り出しに連動した距離計、シャッター・絞り値の双方に連動した露出計といった機能をうまく実現しています。また同時に、56.5mm という相当な薄型化を図っています。露出計を内蔵したカメラで、厚みがレンズ焦点距離の 70% にまで短縮できるカメラというのはそんなに多くはありません。畳んだときの厚みは、一眼レフカメラからレンズを取り外したときの厚みと大差がないレベルです。

さて注目のレンズの描写は、非常にすばらしい出来であり、このカメラの最大の魅力といっても過言ではないでしょう。内外を問わず絶賛の呼び声が高く、使っている誰もがすばらしいレンズであると誉めるものです。またプロにもユーザーが多く、例えば荒木経惟氏は日常のスナップ、作品制作にメインカメラのようにして用い、マキナで撮った写真だけを集めた写真集まで出版しています。これまでに5000本5万カット撮影したということです。ただ、優れたレンズというのは無味乾燥で無収差の、硬い描写のレンズであるというわけではありません。絞り開放から実用上十分にシャープではありますが、なおかつ自然なやわらかさも持ち合わせた設定が絶妙です。また開放ではほんの4隅で若干の画質低下が認められますが、1段絞ると、画面全域に渡って均質な解像力を示し、開放時に残されていたわずかな甘さも排除された、よりかっちりとした描写に変化します。解像度はほぼ同等ですが、画像の均質性ではニューマミヤ6、マミヤ7の標準レンズよりも高いとしたテストレポートもあります。もちろんレンズはマルチコート処理が施してあり、不要反射光の吸収減衰に大変優れた蛇腹の効果と相まって、常に鮮やかで自然な発色を得ることが出来ます。蛇腹はその形状から、画角外からの不要光をフィルム面へ直接反射しないという特性があるのです。


不要光の吸収特性に優れた蛇腹

一見、現代に迷い込んだクラシカルな趣のカメラに見えますが、折りたたむと頑丈で薄いボディ、距離計は分離が良く、採光式ブライトフレームによる見やすいファインダ(ただし距離計は実像式ではないので、二重像の境界線ははっきりしていない)、信頼の置けるスポット距離計、そしてすばらしいレンズと、まさに山岳や旅先での風景撮影にも気軽に使える「常用できる67カメラ」といえるでしょう。私が最も気に入っているカメラの1つです。

マキナのアクセサリ

マキナには専用のアクセサリとして、上の写真にある専用のフィルタやフードのほか、グリップなども用意されていました。フィルタは非常に厚手の枠を持つもので、またフードはレンズ外周の直径にぴったり一致する形状のものでした。

マキナに専用フードを取り付けるとフィルタは装着できません。またキャップは専用品のほか、レフレックスニッコール 500mm F8(New) のキャップがぴったりで、フードを取り付けている場合、外した場合のどちらでもしっくりとはまります。フードを取り付けると 58mm 径の汎用キャップが取り付けられないことと、ファインダから見えないキャップは撮り忘れの事故が起こりやすいため、このキャップはお勧めです。

マキナの仕様

マキナのメンテナンス

プラウベル マキナ67は、近年までは「マキナサービス」が修理・整備サービスを提供していましたが、現在は「ケイズカメラリペア」がマキナサービスから部品を購入し修理を請け負っているとのことです。 なお、マキナサービスは当時ドイにてマキナの生産・サービスに携わっておられた方が設立された会社であり、その経緯で純正サービスパーツを多く保有していました。

作例

カラー(リバーサル)


Kodak E100S (1997年末頃、インド ムンバイ)


Kodak E00S (1998年頃)

モノクロ


F2.8開放


F2.8開放

その他の作例(モノクロ写真ギャラリー Photogradation内)

参考文献

当ページ(特に歴史の部分)は、以下の文献を参考に記述しました。以下の文献は大変詳細に調査の上記述されており、非常に参考になりますので一読されることをおすすめします。