ブロニカ開発秘話 第4話  まさに工芸品

 ブロニカDを見たとき,その優美で華やかな,そしてどこか繊細な和のテイストを持つそのデザインに言及せぬものはほとんどいない.デジタルカメラが隆盛を誇る現在,所有するカメラがブロニカDでなければならない必然性は機能や重量,機動性などから考えてもさほど大きくないだろう.しかし我々がブロニカDに惹かれるのはその誕生のストーリーや卓越した機能の魅力だけでなく,単に眺め,動かしてみて満足できる工芸品のような味わいがあってのことだと思う.そしてこのカメラがこのような質感を持つに至ったのは,やはりカメラに並々ならぬ愛着を持っていた善三郎氏の思いがあってのことだと考えざるを得ない.

 ブロニカは,Dから EC-TL-II に至るまで外装素材のうち銀色に輝く部分は全てステンレスである.特にブロニカDでは,レンズマウントも,底の三脚台座も,全てである.ステンレスは良く知られるように表面処理を施さずとも非常に錆びにくく,また磨きを施すことで輝きを放つため手に触れる外装素材としては理想的である.そのため伝統的に高級腕時計のケース(本体部分の外装)やブレスレット(バンド)に用いられる素材のほとんどはステンレスの無垢材で,それより上となると金,プラチナが用いられる程度である.また最近では Apple 社の音楽プレーヤー iPod の裏面に絞り加工・鏡面仕上げを施したステンレスが使用され,この製品の魅力の1つとなっている.しかしながら,同様に手に触れる製品でありながらカメラの外装にステンレスが使われた例はさほど多くない.なぜならステンレスは加工が難しく,深く絞ったりエッジを構成するために高度な技術が必要であったり,手作業による調整を多く要求するからである.そのため多くの(当時の)カメラの外装は,真鍮プレスにクロムメッキ梨地仕上げ,もしくは黒色塗装が多用されていた.

 ではなぜブロニカではステンレスを外装に用いたのであろうか.もちろん美観や耐久性の面での利点も勘案されたと思われるが,実のところこれは軽量化のためであったというのだ.ステンレスの比重は 7.93 と,真鍮の 8.43 に比べわずかに軽い.さらに強度はステンレスのほうが高いためより薄い板が使用可能である.しかもブロニカDの場合,内部のフレームもステンレス精密プレスにより構成されている(ただしフィルムバックにはダイキャストが用いられている).これは非常に軽量で強度の高いフレームを構築することが可能で,軽量化を追求した最新のデジタル一眼レフカメラ(Canon EOS Kiss D, PENTAX *istD 等)で多用されるようになった技術だ.つまりブロニカは大変先進的な内部構造を持っていると言えるのだ.

 軽量化といえば,ブロニカにはチタンが使用されていることも忘れるわけにはいかない.ファインダフードを開いたときに現れる側面と後面の黒色の遮光板は,厚さ 0.3mm のチタン製である.同年発売となったニコンFのシャッター幕にもチタンが採用されているため,いわば1959年はカメラにおけるチタン元年と言えようか.ともあれ,今でこそ眼鏡や時計等にしばしば使用される素材であるが,ブロニカDのころは珍しい素材であった.なんと材料費は千円札を広げた,その面積と価格が同じであったという.もちろん貨幣価値は今とは大きく違う.当時大卒初任給が 12,000円程度であった.なお,ブロニカDの価格は 128,000円であった.

 当時チタンだけではなく,高品質なステンレス薄板を入手するのにも苦心したという.当時ステンレス鋼は建築材としての需要が主であった.しかし外装に用いるにはまた違った意味での品質が要求される.結局,ピンホールの少ない特殊材は日本ステンレス社と,圧延技術の高い特殊金属社との協力により開発された「ブロニカ仕様」材であった.また塑性加工はブロニカ自社の職人によりかなりの深絞りまで出来た.これにより後に通産省の工業化資金受領の対象となったり,ソニーの高級機器のパネルやノベルティ製品も受注したという.

 1つのカメラを製造するための全てを自社で行うことは容易ではない.そこで部分的には外注も行われたと言うが,どのようにしてこのような高級な加工を施すのか,当時カメラ業界では羨望視されたという.実は外注先はほとんど時計業界であった.時計のケースに使われるステンレス材の加工はさすがにお手のもの.ただし主要部品の加工は自社で行った.自社の職人にも時計メーカ出身者が多く在籍し,スイスから時計用の工作機械を多種輸入したという.

 外装加工の例をいくつか紹介しよう.外装ステンレス材の磨きは「板磨き」と言われ,第1段階として硬質ボール紙の円盤と研磨剤を用いた荒磨き.次に同じ大きさのネル布に青棒と言われる研磨剤を用いた仕上げ磨きを施した.まさに時計ケース等の鏡面仕上げと同じである.またレンズを取り付ける繰り出し筒も18−8ステンレスパイプ材より加工されているが,これも社内で全加工した.最終工程はダイヤモンドバイトによる仕上げ削りであるが,現在の高速旋盤もかくやと思われるなめらかな仕上げには刃物・切削油・回転速度の設定に苦労したという.

 ネームプレートには様々な苦労があった.第1話で紹介したように,そもそもカメラの名称決定が遅れたことが影響した.そのためネームプレートは,後から取り付け可能な構造としたという(もちろん取り付け部分は革で覆ってあり見えない).これもステンレス製であるため,一般の機械彫刻屋では彫り面にバリが出て商品にならなかった.結局,これも工芸業界の彫刻屋に依頼したという.表面の梨地仕上げも通常のワイヤーブラシでは不可能なため,試行錯誤の末,超硬粒材を用いたサンドブラスト加工とした.そして,やっとできあがったネームプレートをカメラに組み付けたところ,梅雨時でもあり,錆が出て大騒ぎ.・・原因はこの粒材に含まれる鉄分であり,電解研磨工程を追加し収まったという逸話がある.

 このようにして作られたブロニカDの外装であるが,カメラの製造もやっと軌道にのった時.通産省から連絡があった.スウェーデン大使館より外務省へ,デザイン問題のクレームがあったというのだ.よく知られる,ハッセルブラッドとのデザイン類似問題である.善三郎氏は早速役所へ向かい,善処を要請するが国家間の問題に発展する可能性もあり,と却下された.帰社した善三郎氏は全社員に非常事態宣言,1年以内の後継機種製品化が命令された.これにより開発されたブロニカSもまた使用感に優れたカメラであるが,デザインは社内の意匠課でなされたものという.

 ではブロニカDの外装デザインはどこで行われたのであろうか.実は,これは社内で行われたものではない.これはインダストリアルデザインの黎明期である50年代から活躍していたKAKデザイングループへ依頼されたのだった.では,それまでの試作機はどうであったか.ここに57年頃に撮影されたと思われる貴重な写真が1枚ある(下の写真).試作機により試写を行っていたときのものであろう.これを見て,ほとんどの人はハッセルブラッドそのものであると思うだろう.実際,レンズはハッセルブラッド用のテッサーを装着している.しかしよく見ると,左手の親指に隠れた部分,通常なら直線的なフラッシュガン取り付け部があるはずのところにブロニカに特徴的なバヨネットマウントが既に装備されている.・・このカメラを,あのブロニカDのデザインにまで仕上げたのだ.しかし最終的にデザイン変更を迫られた善三郎氏の胸中はいかほどであったのだろうか.

(2005.7)