ブロニカ開発秘話 第3話  怪我の功名

 ブロニカには最初の機種から,様々な安全機能が搭載されている.それも電子制御の助けを借りずにすべて機械により実現されている.第1話で紹介した,フィルムバックとボディそれぞれの状態を意識することなく,いつでも自由に着脱することができる機能はブロニカの偉大な特徴の1つである.撮影に夢中になっていて,ふとフィルムを巻き上げたときに初めてその機能の助けを受けたことに気づき,思わず苦笑したという方も多いのではないだろうか.それともこの機能は既にブロニカ使いには常識であるから,もはやそんなことは意識したこともないよ,という方もおられるかもしれない.

 フィルムバックを取り外すときに差し込む,いわゆる引き蓋もその一つ.これを差し込まなければフィルムバックは取り外せないし,一旦取り外したフィルムバックからは引き蓋は抜けない.また引き蓋が入ったままであればシャッターを切ることは出来ないのだ.「もしこの機能がなかったら」あのとき失敗していたに違いない,そういう記憶がある方もまた多いに違いない.そう,まさにこの機能はこのような失敗を原点に開発されたものであるのだ.

 ブロニカの開発は1952年1月に開始された.そのとき専任で設計に携わっていたのはA氏のみであったことは第1話で述べた.その後年月を経て,ブロニカは次第に形をなしていく.そしてまた,A氏自身にも慶事が訪れる.1957年9月,めでたくご結婚なさることになったのだ.もちろん媒酌人は善三郎氏であった.

 今のように披露宴はホテルの宴会場で,という常識が当てはまる時代ではない.東京でも当時の結婚式は自宅で執り行い,まためでたいことは午前中のうちに,が常識の時代であった.さすがにカメラメーカだけあって,といってもまだカメラは1台も発売していないのであるが,・・ともかく新郎も媒酌人もカメラが仕事であるから,写真はもちろんその関係の方々が撮影することになる.実は善三郎氏自らも撮影の労をとられたのであった.しかしこのような席,酒も入ろうし,自らも被写体となる機会が多い.なかなか落ち着いて撮影できる状況ではなかったのであろう,すぐ気が付き大過なかったものの,なんと引き蓋を挿入したまま撮影されたのであった.

もちろん善三郎氏は,それを小さな失敗と見過ごすような人物ではない.引き蓋が挿入されているときにはシャッターが切れぬよう至急仕様変更するよう,列席していたある設計者へすぐに指示が飛んだのであった.結婚式当日は日曜日,ただし午前で結婚式はおひらきとなるものだからすぐに検討開始.幸い意外とスムーズに検討は進み,3時間程度で設計が出来たという.すぐに特許弁理士へ電話かけ,出願準備までがこの日のうちに完了したという.しかもその設計は,ハッセルブラッドのように引き蓋をわずかに引いただけで解除されるものではなく,引き蓋を画面に影響しないところまで引き出さなければ解除されない完成度の高いものであった.

今思えば引き蓋を少しでも挿入しているとシャッターが切れない,このような当然の安全機構であるが,当時どこからも申請されておらず,無事特許取得となった.その後しばらくこの機能は,ブロニカの特徴として独壇場であったという.また,引き蓋が入っていなければフィルムバック取り外しノブが操作できない,というロック機構ではなく,引き蓋を差し込み,さらにこれをグッと押し込むとフィルムバックを取り外すことが出来る,という意表をついた操作方法も操作ミスを未然に防ぐことが出来るという点で優れたものといえるだろう.

失敗は発明の父というが,ここでもしこの失敗がカメラに生かされていなければ,その後様々な場所で,時代で,たくさんの方々が取り返せないショットを失い,悔しい思いをしたのであろう.およそ道具たるもの,それは人が扱うものであり,そのためにはインタフェースが優れていて初めて性能を発揮するものであるし,ヒューマンエラーを単にユーザの責任と無視することも許されない.ブロニカはそれを今もって教えてくれる.

(2005.7)