実はファインダがすごい エンサイン オートレンジ 16-20

2015年4月

エンサインはイギリスのカメラである。イギリスは1900年ごろまでは工業界の先端を走っていたが、その後はドイツに先行されるようになり、1920年頃以降の代表的なカメラはほとんどドイツ製である。さらに戦後になるとカメラ工業はほとんど見る影もなくなってしまうのであるが、そのような中で、1952年頃に登場したこのエンサイン・オートレンジ 16-20 は、実はライカM3に先んじた素晴らしいファインダを備えたカメラである。

そもそもこのカメラは外観で損をしている。トップカバー正面には左右対称に同じ大きさの窓が2つ並び、いかにも距離計を搭載したカメラに見える。しかしその実、この窓のうち1つは距離計には関係がない、ブライトフレームの採光窓なのである。それでは距離計の光学系はどこに付いているのか。実は、前蓋を開けると蛇腹が伸びてくる、その片隅にひっそりとレンズが置かれているのである。

外観から分かるように、エンサイン・オートレンジ16-20はイコンタと同様のドレイカイルプリズム式の距離計を備えている。この方式では、レンズのピント位置をボディ側に伝達する必要がないためにスプリングカメラに向いた方式である。ただしイコンタではドレイカイルプリズムのバーを180度回してセットする必要があるのに対し、このカメラではわずかな角度だけ起こすだけで良い(せっかくなら、スーパーシックスやコンテッサのように、まったく動かさなくて良いようにしてくれればもっと良かったかもしれないが)。そして上の写真のように、ドレイカイルをセットする位置の向こうには、小さなレンズが付いていて、ファインダ側へと光を導いている(もちろんボディに穴が空いているわけではない)。

なぜこんな構造をしているのだろうか?基線長を十分長くとるため?もちろんそういう効果もあるように思われる。しかし実のところ、このカメラでこのような「斜めの位置」に距離計の光学系が設けられている理由は、距離計が実像式だからなのだ。

カメラからトップカバーを外すと、このようなプリズムブロックが現れる。このカメラでは、反射面は全てプリズムにより構成されている。右側の窓から取り込んだ光はプリズムにより接眼レンズへと導かれるが、その窓にはブライトフレームの枠の形のマスクが仕込んである。そしてさらにその右側に、見慣れないプリズムブロックが付いていて、普通のカメラとは逆に、後ろ向き(撮影者側)からの光を導くようになっている。そしてその手前の半円形の台座に付いているプリズムが、蛇腹の付近から軍艦部内部へと光を導くようになっている。

軍艦部から小さい方のプリズムを取り外した。このように、大きい方のプリズムには、カメラ背面のほうを向いた小さな円形の窓がある。そしてそこに取り付けられる小さいプリズムは、潜望鏡のように蛇腹の脇からの光を2回の反射でトップカバーへと導いている。そしてこの小さなプリズムの下端には、凸レンズが貼り付けられているのだ。

光学系の基礎をご存知の方であれば、この構造には見覚えがあるかと思う。実はこのプリズムブロックによる光学系は、全体としては双眼鏡などに用いられている正立光学系(ポロプリズム)なのである。多くのカメラのファインダは逆ガリレオ型と呼び、凸レンズと凹レンズの組により、プリズムを用いることなく正立像を観察することが出来る。それに対し、望遠鏡などに用いられるケプラー型の光学系では対物レンズと接眼レンズの双方が凸レンズであり、対物レンズによって形成される実像を、ルーペとして働く接眼レンズにより観察する。このとき、実像が上下・左右逆像であるために、途中にプリズムを置かなければ正立像を観察することが出来ないのだ(参考:ファインダのしくみ)。上に示したようなポロプリズム光学系は双眼鏡では広く用いられており、例えばニコンのミクロン双眼鏡ではそれが外形からもよく分かる。

このような実像式の距離計では、光学系中に生じる実像の位置にマスクを設置することで、距離計の可動像の輪郭を明確にすることができ、上下像一致式の距離計としても利用できると言われている。実際に、よく整備したオートレンジ16-20の距離計は、可動像の明るさが十分なために、むしろ二重像合致式よりも上下像一致式として使うほうが見やすいぐらいである。ブライトフレームを形作るマスクも、薄板に穴を開けたものではなくガラスブロック中の薄膜として形成されているために、一箇所も途切れがなく、角がシャープで非常に綺麗で明るいブライトフレーム像が提供される。

実像式距離計と採光式ブライトフレームの双方を備えたファインダは、1954年発売のライカM3がその始祖であるように言われることがある。しかしなんとその直前、1952〜1953年にはこのような形で既に実現されていたのであった。しかもイギリスのカメラである。エンサインのカメラというと、たいていはロス・エキスプレスレンズの写りの良さがまず話題になるのであるが、実はファインダ光学系も創意工夫に満ちているのであった。ドレイカイルプリズムの連動方式もベベルギアを用いたシンプルかつ合理的なメカニズムであり、クロームメッキ部分の仕上げも美しい。シャッターチャージを忘れてシャッターを切ろうとすると針でチクリと警告する、007の秘密兵器のようなメカまで備わっている。大英帝国、恐るべし、である。

その他の特徴

エンサイン・オートレンジ 16-20 の特徴のうち先に述べたファインダの構造は、ブライトフレームが明るく明快であること、距離計可動像がくっきりしていて上下像一致式でも使えることのほか、メガネ着用者でもファインダが見やすいことが挙げられる。ファインダの倍率は約0.4倍と小さく、被写体が小さく見える代わりに、メガネを着用していても視野全体を確認しやすい。倍率が低い代わりに基線長が約40mmとスプリングカメラとしては大きめであり、測距精度に問題はない。ただし基線が斜めに置かれているために像が斜めに動くので、最初は戸惑うかもしれない(上のファインダ像では縦ずれしているように見えるが、距離を合わせると完全に一致する)。

オートレンジ 16-20 の特徴として、比較的新しいボディ構造を持つことが挙げられる。6x4.5判のスプリングカメラは、スーパーセミイコンタやパールのように板金プレス製のボディを持つものが多いが、オートレンジ 16-20 はアルミダイキャスト製のボディを持つ。さらにフィルムレールと圧板はトンネル式となっていて、段差の内側をフィルムが走行するようになっている。

フィルムスプール受けも、板バネにより支えられるような形式ではなく、円筒形の部品がスライドして出入りするようになっている。しかもスプール受けを引き出して少しねじると、出したまま固定できるようにもなっている。ただし突出量が小さく、操作しやすいとはいえない。トンネル式フィルムゲートと相まって、フィルムの安定性は高い。

裏蓋の蝶番は2連になっていて、270度近くまで大きく開くようになっている。とはいえ、これにより非常に使いやすくなったとも言いがたい。蝶番部分からの漏光を防ぐためであったのかもしれない。

このカメラには自動巻き止めは備わっていないが、二重露出防止機能は付いている。露光後は窓内の表示が赤くなり、シャッターボタンがロックされる。巻き上げるとロックが解除され、窓内はシルバーの表示に変わる。古いカメラの自動巻き止めではコマ間が被るものが多いため、今となっては欠点ともいえないだろう。

そしてエンサインといえばやはり、この指を刺す警告システムだろう。よく、二重露出防止機構であるかのように言われるがそうではなく、巻き上げはしたもののシャッターチャージを忘れているとこのシステムが働く。チャージしていないシャッターを無理にレリーズしようとするとシャッターや途中のリンク部分が壊れたりひずんだりすることがあるために、このようなシステムにしたのだろうと思われる。もっとも、針の先はさほど尖っておらず、痛いと言うほどのことはない。

このように凝ったシステムを持つカメラであるが、大きさはスーパーセミイコンタやパールII型などとほとんど変わらない。ダイキャストボディや大きめのプリズムを持つために重量は若干重いが(戦前型のスーパーセミイコンタ:566g, パールII型:576g に対し 640g)、同じくダイキャストボディや採光式ブライトフレームを持つパールIV型(710g)よりはかなり軽い(ただしパールIV型には自動巻き止めが備わる)。

試写結果

Ross Xpres は人気のレンズである。よく、テッサーを拡張した3群5枚であると言われるが、それはごく初期のバレルレンズ等のみであり、実際にはテッサーとほぼ同様の3群4枚である。またオートレンジ820に装着されているものはアポクロマートであるとか言われるが、そうではないとのことである。それでは実写結果はどうであろうか。

この写真は十分に絞っているため、非常にシャープな画像が得られている。露光量と現像が濃いめであったので余計にコントラストが強調されている。

開放での画質を調べるために、イプシロンシャッターの最高速である 1/400秒で、開放絞りで撮影した。十二分にシャープであり、かつ像の流れなども見られず、非常に優秀である。ただしこのカメラのたすきの構造はあまり頑健ではないため、レンズとフィルム面の並行性が保たれにくく、このような遠景に対しては開放絞りはあまり使用しないほうが良い。

最短撮影距離の5ft付近で撮影した。16-20 は前玉回転式でピントを合わせるが、大きな問題はないように思われる。

やはり近景であるが、距離計の精度も高く、全体にぼけも穏やかで使いやすいレンズである。

歴史

ホートンはその歴史の中で合併を繰り返しながら何度も社名を変更している。1836年にジョージ・ホートンとアントワーヌ・クローデットが創業して以来、創業者のうちの一人であるホートンの名前が社名に含まれ続けていたが、1930年にカメラやフィルムのブランド名であったエンサインを社名とした(この点はニコンやコニカ、オリンパス、ミノルタ、キヤノン等も似た経緯をたどった)。一方でロスは1830年創業のレンズメーカで、ホートン(エンサイン)にもレンズを供給していたが、1948年に両社は合併し、1954年に最後の社名であるロス・エンサインとなる。

このカメラに付属していたケースにはこのロス・エンサインのロゴが描かれている。オートレンジ16-20のボディ本体にも、このロス由来のレンズ型のロゴが書かれたのものもあるが、ここで紹介した個体は斜体のエンサイン名のみが書かれている(どちらが初期のモデルかはわからない)。

そしてロス・エンサインは1961年に倒産した。

整備

トップカバーは、巻上げノブを外すと1つ小さなネジが現れるので、これと反対側の被写界深度スケールを取り外すと軍艦部を開けることが出来る。プリズムは、大きい方は3本のネジで、また小さい方は2本のネジで止まっているので取り外して清掃できる。大きい方のプリズムを外すと対物レンズ(枠に入っていないレンズ単体)を抜き出して清掃できる。接眼レンズはねじって取り外す。小さい方のプリズムは、取り付けるときにドレイカイルプリズムが光軸上の中央に来るように精密に位置合わせする必要がある(ここで距離計の左右を合わせてはならない)。大きい方のプリズムを止めている前後のネジの締め付けバランスで距離計の縦ずれを調整することが出来る。接眼レンズのねじ込みの深さで視度の調整ができる。

無限遠と距離計の左右ずれはレンズ側で調整する。先端のフォーカスリングを3本のイモネジを緩めて外す。さらに3つのイモネジが現れる(上の写真)のでこれを緩め、内側のレンズ部分(レンズ銘が刻印されている部分)のヘリコイド角度を調整することで無限遠が調整できる。さらに外側の、ドレイカイルとギアで繋がっているリング(上の写真でイモネジのついた部品)を回すことで距離計の左右ずれを調整できる。フィルムゲート部分に磨りガラスを置くなどしてまず無限遠を内側のレンズで合わせ、次に外側のリングで無限遠で距離計が合うように調整すれば良い。最後に無限遠が合うようにフォーカスリングを取り付ければ完成である。ドレイカイルの先端部分と、そこを動かすベベルギアがついた軸は分解しないほうがよい(ここを分解しなければ、理屈の上では、距離計像の移動方向が基線方向とずれることはありえない)。

シャッターを整備するには、ドレイカイル部分を覆うメッキされたカバーを外し、第2レンズを枠(ギアの付いたリングの内側の銀色の枠)ごとゆるめて外す。低速ガバナーが油切れのため動きが悪くなっている個体が多いようだが、下手に油を差すと往々にしてつけすぎになり、のちのちシャッターブレードに油が回るので慎重を要する。付けるとしたら、細い針の先をわずかに油で濡らし(垂れるほど付けてはならない)、それで軸受けを撫でる程度にする。シャッターはプロンター系の構造だが、セルフタイマーやフラッシュタイミング機構がないために比較的単純である。シャッターが開いている時以外にアンクル(脱進機)を退避する機構が普通のシャッターには付いているが、このシャッターにはないようなので、シャッターチャージ後にシャッター速度が変更できない部分がある。その点を除くと、特に材質や加工精度に問題があるシャッターではないように思われる。